大連/満鉄社宅街があった南山路・七七街 満州国時代の史跡巡り
大連
大連駅到着

瀋陽発6:15の高鉄に乗車し、8:24 大連駅へ到着した。


駅構内にあった看板。パンダがリボンを付けている。中国のパンダはこのようにお洒落しているんだ。
大連商場(大連駅前付近)

駅を出て少し歩いてみる。

マイカル大連本店(麦凱楽大連本店)

昔でいうMycal Stayマイカル・サティの大連本店。1997年に来た時にもあった。ここで購入したカバンを今も使っている。日本では店舗はイオンに統一されたけど、海外では旧称のまま存続している。

ピザ・ハットの朝食15元。写真とは異なる朝食を食べた。
労働公園

労働公園北門に着いた。

入場は無料。中を突き進む。この公園内に非常に長い滑り台がある。晴れていれば滑りたいとことであるが、今は小雨が降っていて、足元も悪く、滑れる状態ではない。

雨がポツポツと本降りになってきたので、山頂まで行くのはやめた。労働公園の東門から抜け、南山路へ向かう。
南山路

労働公園から徒歩15分ほどで南山路へ到着した。

この辺一帯は旧関東州時代に多くの日本人が住む高級住宅地街となっていた場所である。真南満州鉄道株式会社の職員が住む社宅もこの辺一帯にあり、今なおその家屋が残っている。

南山路。
七七街

南山路と交差する七七街。ここも旧関東州時代に建てられた日本の家屋が残っている。

しかしながら現在は建て替えが進行し、古い家屋は消えつつあるようだ。

七七街に残っていた旧関東州時代の家屋。

かろうじて残ってはいるが、老朽化と中国の経済成長が進み、今回が見納めかもしれない。

新しく建て替えが進んでいても、昔の住宅を模した仕様の建物が多く、新旧うまく調和している。

この辺の事情は、芥川賞作家である清岡卓行の「アカシアの大連」で詳しく紹介している。

意外にも建替えが進行し、当時の建物が少なくなっている中、なんとか周辺を歩き回って、当時の建物らしいものを何軒か見つけた。




ここへは10数年ぶりに来た。前回来た時は、まだだいぶ当時の建物がそのまま残っていて、普通に人が住んでいたが、今回はだいぶ建替えが進んで、当時の建築物は消えつつあることが分かった。

残念な気持ちもあるが、仕方がないこと。一通りこの辺を回ったので、七七街から解放路をひたすら歩き、中山広場を目指す。
旧大和ホテル(大連賓館)

七七街から徒歩15分で大連賓館前に着いた。ここは元満鉄経営の大和ホテル。

1909年着工で1914年竣工、日本人建築家の太田毅と吉田宗太郎により設計されたと記されている。
旧大連市役所(中国工商銀行大連市分行)

旧大清銀行大連支店(中信銀行)

中信銀行。
1910年6月竣工で、大清銀行大連支店→清朝滅亡後の1912年に中国銀行へ改称。
解放後、大連市教育庁舎→中信銀行へ至っている。

中山公園

大連賓館目の前にある中山公園は工事中で入れなかった。
旧横浜正金銀行(中国銀行遼寧省分行)

中国銀行遼寧省分行。
1909年竣工の旧横浜正金銀行。
旧関東逓信局(大連市郵政局)

大連市郵政局。
旧関東逓信局。
旧朝鮮銀行大連支店(中国工商銀行中山広場支行)

中国工商銀行中山広場支行。
旧朝鮮銀行大連支店。
旧大連民生署(遼寧省対外貿易経済合作庁)


大連駅前勝利広場の方向。
旧イギリス領事官跡地

大連金融大厦。
この場所に1914年竣工のイギリス領事館があったが、取り壊され、2000年に今の建物が出来た。
上海路

中山広場から上海路を歩き、勝利橋方面に向かう。
途中にあった大連銀行。これはたぶん歴史建築物ではない。
旧日本橋(勝利橋)

線路に掛かる勝利橋。関東州時代は日本橋と呼ばれていた。橋の左下には大連駅ホームがある。
ロシア風情街

橋を渡ると、ロシア風情街地区へ出る。

もともとロシア人居住区の場所であった。1997年に来た時はただの廃れた通りであったが、2004年に来た時には「ロシア風情街」として、観光地化されていた。

時間が無く、ここには5分ほどしかいられなかった。

ペアルック発見!
そんなことはどうでもよく、急いで駅へ戻る。

最後にもう一度勝利橋。
勝利街

勝利街を早歩きし、大連駅へ向かう。
大連駅

11:30前に大連駅へ着き、預けていた荷物を受け取りタクシーで空港へ向かう。
13:00発成田行きのJL828便で帰国し、今回の旅行は終了。
今回の旅程の半分は昔行った思い出の地の再訪問で、新鮮味には欠けたが、それなりに楽しかった。
ただ残念ながら美食には全く恵まれなかった。
