カシュガル(喀什)
夜明け前のカシュガル市内
北京時間朝7時過ぎに起床。
ホテルの窓から見た市内の様子。
人民広場。
朝食を食べに5Fへ。今回も早めに7:50に行ったが、8時まで待てと言われ、入れてもらえなかった。
入口でじっと待っていたら5分後に入れてくれた。
また一番乗り。今度はカメラ持ってきたけど、食べたもの撮影し忘れた。
天縁商務酒店はチェーン店らしい。エレベーターに他の店舗の紹介図があった。
ここのホテル、カシュガルでは数少ない外国人宿泊可のホテルで、悪くは無いのだが、どうも愛着が持てない。
人民広場
8:40頃、チェックして最寄の老城区四小のバス停へ向かう。
列車の時間が10:16発、定刻通りに来ていれば、10:00前くらいに着くであろう。この辺からカシュガル駅までバスで30分位掛かる。
ホテルを振り返る。
毛主席像もこれで見納め。
「老城区四小」バス停
老城区四小のバス停。
来たときと同じ28路のバスでカシュガル駅まで行く。バスは直ぐ来た。
出発して間もなく、左手側の窓から高台民居が見えた。
高台民居もこれで本当に最後の見納めだ。今度カシュガルへ来ることがあったとしても、その時には全面的に取り壊されていると思う。
9:10頃、カシュガル駅前に到着した。意外と早く着いた。
カシュガル駅
切符はウルムチ南駅で5元の手数料を払って受領していたので、そのまま駅改札へ向かう。
待合室の様子。
9:57 ホータン行きの列車が入線した。4日前、自分がウルムチ南駅から乗車して来た列車と同じだ。
乗車するまで気が付かなかったが、今回の自分の席は11車両5番。
ウルムチ南→カシュガルへ来たときと全く同じ席だった。
10:16 定刻通り出発。
かなりの徐行運転で進む。
線路沿いには古びたウイグル族の家が並んでいる。
食堂車の様子。
昼時でないので、まだ営業していない。
車内はまったり、のんびりしていて、とても静かである。また、カシュガルで結構人の入れ替えがあったよう感じだ。
アクト(阿克陶)駅
11:00 アクト(阿克陶)に到着。
自分の室内の様子。隣でウイグル族のおばちゃんが寝ている。
イェンギサール(英吉沙)駅
11:27 イェンギサール(英吉沙)到着。
一見、何にも無い街に見える。
しかし駅と中心地は離れているもので、市の外れにある駅周辺だけ見ても、その街の発展度合いは分からない。
後で調べたら、イェンギサール(英吉沙)は伝統的なウイグルナイフの産地であることが分かった。
景色がガラリと砂漠に変わった。
駅弁の車内販売が来た(15元)。
見た感じ、余り美味しそうではないので買わなかった。それと写真を撮ったら販売員に怒られた。
再び緑地地帯。
緑地地帯と砂漠の境界。
再び砂漠地帯へ。
克孜勒駅
克孜勒へ到着。
停車はしているが、ここでは乗客は乗り降りできない。
再び砂漠地帯へ。
北京時間14:00過ぎ お昼はカップラーメンにした(5元)。
カップラーメンそのものは3年ぶりくらいに食べるが、前回食べたのも中国でだ。
緑が多くなると、駅に近づく合図だ。
緑が多い→水がある→人が住める→街ができる→駅がある、という世の理(ことわり)だ。
もうすぐ駅に着く気配。これまでよりも結構規模が大きい街だ。
ヤルカンド(莎車)駅
13:25 ヤルカンド(莎車)に到着。
以前この街は普通に外国人の観光はできたが、今回の旅行の少し前に暴動事件が起き、当面の間、外国人の出入りは出来なくなった。
カシュガルーホータン間では最も大きい街である。結構な人が乗り込んできた。
結構長く停車していた。
20分ほど停車して出発。
南疆鉄道の駅。どこも決まって最後は武警がお見送りしてくれている。
ヤルカンドの街を離れていく。
社内販売が来たのでハミ瓜(哈密瓜)を買った(5元)。おいしい。
ポスカム(澤普)駅
13:52 ポスカム(澤普)に到着。
ここも最後は武警のお見送り。停車のたびにこのパターンだ。
カルギリク(葉城)駅
14:25 カルギリク(葉城)に到着。さっきのポルカム(澤普)と駅の構造が全く同じだ。
カシュガルの新国際ターミナル前で、唯一、葉城行きの乗り合いが勧誘していた。
ここへ来ることが目的であれば、乗り合いタクシーの手段もあるし、そっちの方がたぶん早く着けると思う。
緑地地帯と砂漠の境界。
ところどころこのような網が張られているのを見かけた。おそらく植林に関係していると思う。鉄道を保護するためかも知れない。
近くで竜巻が起きていた。
追いかけて来ないで欲しい。
闊什駅
闊什という駅に到着。停車しているが、この駅も乗客の乗り降りは出来ない。軟臥車両の扉は開かれなかった。
それと線路は非常に短い。
しばらくして、ホータン(和田)→烏魯木斉南行きの列車とすれ違う。今更ながら思うのだが、南疆鉄道は単線なのかな?
そういえば停車中、トイレの扉は常に開いていた。以前は停車のたびに鍵を掛けられ閉められていた。
理由は垂れ流し式であるためである。今はタンク式に変わったのかもしれない。
乗車中、自分は読書しながら景色を楽しんでいた。
グマ(皮山)駅
15:54 グマ(皮山)に到着。
旅行客はおろか、漢民族らしき人は見当たらない。全員地元のウイグル族か自治区内居住の少数民族に見える。
車内にあった列車の時刻表。
この道路が砂漠地帯との境界。
暫くして緑地地帯へ入る。
新緑地帯と砂漠地帯の境界。
再び砂漠地帯へ。タクラマカン砂漠側の風景。
藏桂駅
藏桂という駅に停車。ここも乗客は乗り降りできない。またこの駅、時刻表にすら載っていなかった。
硬座の車両へ探検に行く。
ウイグル族でない民族と思われる人も多数いる。目の瞳がブルーで、明らかに外見上、東欧人ぽい。
何人かに何族か聞いてみた。みな一様に「听不懂」(聞き取れない)と首を横に振り、会話にならない。
日本人から見ると外見怖そうな少数民族のおっさん達。突然、普通話で話しかけられ、動揺している。
見かけによらず、気が弱そうな印象を受ける。少数民族の比率が非常に高い、この辺に住むローカルの人たちは、中国語なんて話さないんだ。
駅の待合室で見かけたこの親子も、普通語が全く通じず。カメラを見せたら肯いて写真を撮らせてくれた。
普通語で民族を聞いても、普通語が通じず、何族かは分からず。
服装からタジク族のような気もするが、ちょっと違うような気もする。
別の硬座の車両へ移動してきた。結構空席が目立つ。
二二四団駅
二二四団駅に到着。
二二四団駅。開拓地っぽい名前だ。ここの駅も乗客の乗り降りは出来ない。
墨玉駅
18:03 墨玉に到着。
ここはホータンの一つ手前の駅である。結構下車する人が多い。
同部屋のウイグル族の母娘。彼女達も自分と同じカシュガルから乗車してきた。彼女たちは列車に乗り込んだ後、軽く食事を済ませ、後はずーと寝ていた。
軟臥のほとんどの乗客がそうであったが、外の景色なんかどうでもいいと言わんばかりに、みな昼寝していた。
地元の人にとっては見慣れた景色で、全く関心が無いようだ。
2人ともホータン出身。赤い服の娘さんは現在ウルムチの新疆農業大学に通っていて、秋から4年生になるという。夏休みは実家のあるホータンに帰省していて、この時はお母様とのカシュガル3泊旅行の帰りだそうだ。
「スカーフはしないのか?」と聞いたところ、「する時としない時がある、特にしなければいけない決まりは無い」とのこと。ホータンに着くまで、少し雑談をした。お母様の方は普通語は全くダメ。彼女は普通に喋れる。
「大学卒業後は公務員になり、ウルムチかホータンで働きたい」と言っていた。
ホータン(和田)
ホータン駅
いよいよ終点のホータン駅に到着。
自分の寝台。
窓側に寄りかかりながら約8時間、本を読みながら、景色を楽しんでいた。
ほぼ定刻通りで18:25に到着した。
南疆鉄道の旅もこれで終わり。
坊主頭の女の子。ウイグル族の女性は小さい時に一度、坊主頭にする習慣が有るらしい。そうすると将来立派な髪の毛が生えてくるからだそうだ。
身の安全のため、カメラを向けてはいないが、ここも駅前に装甲車を配備して、武警が完全武装して警備している。但し、カシュガルもそうであったが、ほとんどがウイグル族の武警だ。ウルムチ南駅は漢族とウイグル族、半々の比率でいた。
ホータン駅構内から外へ出た。