瀋陽

張氏師府博物館

「張氏師府博物館」。今回の瀋陽訪問で最も来たかった場所の一つである。ここは中華民国時代、東北軍閥の首領であった張作霖、張学良父子の旧邸宅である。

前回来た時、閉館30分前の5分後で、交渉したが入れてもらえず、外から建物を眺めただけの悔しい思いをした。15年ぶりのリベンジ訪問である。当時は銅像など無かった。現在入口周辺はかなり立派に整備されている。

張作霖、張学良一家の邸宅でもあり、官邸としての役割も兼ねていた。

民国調の素敵な居室。

張学良像。

庭園の様子。

張作霖は1928年6月4日、ここから近い皇姑屯という場所の立体交差点で、関東軍河本大作の策略により、乗っていた列車の車両ごと爆破された。蒋介石の北伐軍に押され、北京から引き揚げて、奉天(当時)に到着する間際のことであった。張作霖は瀕死の状態でここまで運ばれ、息を引き取ったそうだ。

張作霖死後、東北軍閥は長男の張学良に引き継がれた。しかし張学良は中華民国統一のため、蒋介石の北伐軍に下り、中華民国は蒋介石の下で統一された。その後、満州事変が勃発し、抗日よりも反共産党対策に注力していた蒋介石を1936年12月12日、西安で監禁し「西安事変」を起こす。延安から周恩来を呼び寄せ、蒋介石と中国共産党で抗日民族統一戦線を締結させた。

西安事変後、張学良は蒋介石により50年以上状軟禁状態に置かれる。蒋介石の死後に軟禁状態が解かれ、台湾からハワイに移住し、2001年10月14日(現地日付)101歳で亡くなった。

張学良は生前、瀋陽に今も残るこの邸宅に戻ることは出来なかった。張学良が死去した翌日、中国でも大きく報道され、当時の国家主席江沢民は「偉大な愛国者、中華民族の千古功臣、中国共産党と中国人民は永遠に張学良先生を偲ぶ」と表明した。そして2001年10月17日にここ張氏師府で大規模な追悼集会が開かれた。