新疆ウイグル自治区

タシュクルガン/中国最西端の街 新疆ウイグル自治区・南疆鉄道の旅⑪

タシュクルガン(塔什庫爾干)

塔什庫爾干路

北京時間19:00前頃。
カシュガルから6時間かけてやって来た。本日の活動はもう終了してもいいのだが、外はまだバリバリに明るいし、新疆時間だと17:00前で、まだまだこれからの時間帯なので、街中探索に出かける。

道路にド派手な民族衣装をきたウイグル族のおばさんがいたので、「写真を撮らせて!」とお願いすると、私でなく、あの子を撮ってと合図をする。近くで子供が遊んでいた。

おばさんにウイグル語で何かを言われ、写真を撮らせてくれた。とても凛凛しい顔つき。
遊んでいる途中、お邪魔しました。

タシュクルガン バスターミナル

ホテルからバスターミナルまでは近く、徒歩5分くらい。帰りのバス情報を調べるため、中へ入る。

建物の中は閉まっていた。毎日当日北京時間朝8:30に切符を売ると書かれてある。また道路事情が悪い影響で、正常運行も保証できないとのこと。いずれにしても事前購入は出来ないようだ。

バスターミナルから塔什庫爾干路を一直線に歩き、紅其拉布路の交差点に到着すると、偽マックがあった。マックの漢字表記は「麦当労」である。

タシュクルガンの概要地図。
中国の都市って大体どこでも地図を売っているが、タシュクシュルガンでは探したけど売っていなかった。
何件か店を聞いたけど、「塔県は小さいので地図なんて必要ない、それかネットで見ろ!」と言われた。

タシュクルガン・タジク自治県中学。

「友遠方より来る、楽しからずや」。ここ西域の地に於いても、中原の漢語教育が浸透しているようだ。

更に塔什庫爾干路をひたすら歩いていく。

通りがかり、タジク族のマダムたちと出くわした。

思わず「写真を取らせて下さい!」と申し出たら、身構えてくれた。
こちらの言っていること(普通語)は通じていないみたいであったが、カメラを見て、撮れ撮れという仕草をしてくれた。

塔什庫爾干路の終点。結構歩いた。バスターミナルから2㎞近くあると思う。

アラール金草灘

目の前には草原が広がっている。アラール金草灘(阿拉爾金草灘)だ。

草原へ行ってみるため、下へ降りる。

アラール金草灘。

この景色、かなり凄い。

ちなみに北京時間20:00前である。

ところどころ小川が流れている。

石頭城

続いてアラール金草灘手前にある石頭城へ行く。

入場料30元もするらしいが、入口に誰もいないので、そのまま入る。

あっち側まで行こうとしたのだが、ここで深呼吸をしたら急に頭痛がして、苦しくなってきた。

ちょっとやばいと感じ、戻ることにした。

バス停があり、バスでホテルへ戻りたいところであるが、バスが来る気配が全くない。それにしても恐ろしくバス停の数が少ない。

仕方がないので、来た道を歩いて帰る。

頭痛、吐き気、寒気もしてきたので、ゆっくり歩いて戻る。明らかに高山病の症状だ。来るときはなんでもなかった道が、とてつもなく長く感じる。後で調べたが、タシュクルガンは標高4,000Mを超えた高地にあり、富士山よりも高い場所にある。

紅其拉布路/購物一条街

なんとか紅其拉布路へ辿り着いた。この付近は別名「購物一条街」とも言う。いろんな店が集っており、酸素を探す。

苦しい時にどうでもいいのだが、このタジク族女性の髪が超長。

以前、チベットや四川に行った時、携帯用の酸素缶が15~20元くらいで、商店で普通に売られていた。
ここも高地なので、当然、同様に売られていると思っていた。

売っていそうな店を訪ねても、酸素はどこの店にも売られていない。
「苦しいのなら医院へ行け!」と何人かに言われた。
医院は自分が宿泊しているホテル近くにあるらしく、この時間でも開いていて、酸素吸入出来るらしい。

この地の人はもともと高地で生活しているので、この地の空気の薄さに順応しており、酸素缶など必要ないのだろう。また観光地化されているとは言い難い場所でもあり、酸素缶の需要がほぼ無いと思われる。

ウイグル族の子供。

タジク族民族衣装の生地が売られている。

イスラム教徒のための超級市場(超市=スーパー)。

結局、酸素缶を売っている店は見つからず。おそらく市内どこにも売っていない様子である。

酸素缶は諦めてホテルに戻った。吐き気がして食欲もない。

北京時間21:00頃。ホテル前の景色。

病院へ行くほどでも、と思っていたが、頭痛が取れない。せっかく遥々とタシュクルガンまで来たのに、観光どころではなくなった。ダメもとでフロントに酸素はないか聞いてみたところ、なんとあった!

酸素缶ではないが、枕式のもので、パンパンに詰めてもらい50元。写真はだいぶ吸引してから撮ったもの。
更に押金50元が必要と言われたが、宿泊客なので免除された。50元分の酸素でタシュクルガンを離れる翌々日朝までの2泊3日持ち堪えた。