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旅順
東鶏冠山北堡塁

続いて203高地と同じく、日露戦争の激戦地であった東鶏冠山北堡塁を見学。

奥へと進んでいく。

要塞跡らしき堡塁がある。この時、中へは入れなかった。1900年から帝政ロシアが4年かけて築き上げた堡塁であるが、1904年12月末、乃木希典率いる日本軍第三軍に占拠されてしまった。

この時、ロシア側の精神的支柱となっていたロマン・コンドランチェンコ陸軍少将が日本の砲撃により戦死してしまい、旅順要塞の最高指揮官であったステッセルは降伏を決意し、「水師営の会見」へと繋がっていく。

写真は撮らなかったが、「歩き方」を手に持ってここのお土産屋の前を歩いていたら、店員から「私はその本に載っています。」と日本語で声を掛けられた。「どれ?」と聞いてみると、P57(’13?’14大連版)の下の方の3の写真に帽子を被った女性が小さく写っている。そんなこと言われても小さすぎて識別できない・・。これはいつ頃の写真か聞いたら、2006年頃に撮られたと言っていた。ちなみに「歩き方」を持ちながら中国を旅行していて、このようなことを言われたのは、今回で3回目である。

「旅順口風雲展覧会」という看板があったが、中は水師営会見所と同じくちょっとした写真の展示があり、休憩室のようになっていた。

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