遼寧省

大連・旅順/旧関東州史跡巡り 満州国時代の史跡巡り①

大連

大連周水子空港

JALの特典航空券を使い、成田から大連へやって来た。

当時、まだ地下鉄は開通されておらず、市内へ行くリムジンバスを探すがみつからない。

結局、タクシーで大連駅へ向かう。大連は空港から市内まで近いのでリムジンバスは無いのかもしれない(大連は5回目で過去リムジンバスを利用したことが無い)。

大連駅

大連駅到着。
この駅舎は、もともと上野駅駅舎(丸井側)を模して建てられたが、2000年に改装され、新しくなった。

先ずは荷物を預ける(8元)。

そしてネット予約した切符を受け取るため行列に並ぶ。
※2021年頃から鉄道はチケットレスになった。

なんだかんだでやはり30分は並び、無事受け取れた。

大連駅裏側。知らない間にこのようにきれいに整備されていた。1997年初めて来たときは、ただの貧民街であった・・。

「歩き方」を見て、今はここから旅順行きのバスに乗る。

旅順

旅順バスターミナル

14:00頃、旅順バスターミナルへ到着。
バスの席が窓側ではなかったので、道中、写真は撮らなかったが、星海公園前を通って行った。

旅順は2回目で、前回来た時は非開放の時だったので、市街地をこっそりぶらつくのが精一杯だった。
今回は、前回行けなかった203高地と水師営会見所見学が目的である。
路線バスでも近くまで行けなくは無いが、時間を考慮し、タクシーをチャーターすることにした。交渉で180元。

はじめは市内から最も距離が離れている203高地へ向け、出発!

二〇三高地

203高地到着後、山道を登っていく。
ちなみに入場料と駐車場代で40元。

203高地の標識があった。

203高地の説明。

旅順攻防の慰霊碑として建てられた爾霊山塔。203を文字って命名されたとのこと。

旅順港の写真。
漠然と203高地からこの風景がみられると思っていたら、ここからは湾は見えない。
これは旅順市街地の白玉山塔から見られる風景であることが分かった。

空気が汚いのか、霞んで、景色がよく見えない。

旧日本軍が使用した大砲。
100年以上経っているが、塗装してあり、見た目真新しい。

前方を見ると、空気が悪くて海は見えない。霧がなくても海の見える距離ではないような・・

203高地。特に何がある?っていほどの場所でなかった。

水師営会見所

続いて水師営会見所。203高地から車で20分程度。
ここへ入る前、タクシーの運転手から、「ここは外から見るだけで十分、後から作った建物で、詐欺みたいだ」と言われた。でもせっかくなので、入場料40元を払い、中を見学。

日露戦争のときの写真が展示してあった。
でもこれらの写真はそう特殊なものではなく、ネットでも本でも見れると思う。

確かに外から見るだけで十分であった。
ちなみにこの建物は1996年に再建されたものであった。

水師営会見所の周辺はこのような普通の住宅地である。

「水師営街」(通りの名前)の標識が捨てられていた。日本と馴染みがある通りの標識がこんな扱いを受け、なんか見ていて悲しい。

東鶏冠山北堡塁

続いて203高地と同じく、日露戦争の激戦地であった東鶏冠山北堡塁を見学。

写真は撮らなかったが、「歩き方」を手に持ってここのお土産屋の前を歩いていたら、店員から「私はその本に載っています。」と日本語で声を掛けられた。「どれ?」と聞いてみると、P57(’13?’14大連版)の下の方の3の写真に帽子を被った女性が小さく写っている。そんなこと言われても小さすぎて識別できない・・。これはいつ頃の写真か聞いたら、2006年頃に撮られたと言っていた。ちなみに「歩き方」を持ちながら中国を旅行していて、このようなことを言われたのは、今回で3回目である。

旅順日俄監獄旧跡

16:00過ぎに運転手さんの取り計らいで、旅順の監獄跡地へ来た。

だけど入場は15:30までで、中を見学することは出来なかった。閉まるのが早すぎる!!ハルピン駅構内で伊藤博文を暗殺した安重根は、ここへ連行、収容され、処刑された。

旅順駅

白玉山も16:00には閉まるとのことで、敢えて行かず、なんとなく旅順駅に連れてきてもらった。

帰りは18:00発のバスで帰るつもりであったが、17:13初の大連行きがあることを知り、ちょうどいい時間帯であったので、列車で大連に戻ることにした。

ここでタクシーチャーターを終了し、運転手さんと別れた。

駅舎は帝政ロシア侵略時の1900に建てられた。

ホームの向こうに軍港がある。

旅順が解放後、長い間、非解放地区で合った理由はこのためである。

駅前の様子。駅前一等地という面影は全く無い。

大連駅に比べ、非常に小さい駅である。

改札の風景。

旅順→大連 8.5元。2時間近く乗って130円くらいだ。

旅順駅。

ちっちゃい駅と思っていたが、ホームの奥行きは長い。

当時の東清鉄道(→南満州鉄道)の最南端駅。

改札目の前はホームなのに、どうして離れた場所に停めているのだろう?

大連行きの列車であるが、大連到着後、ハルピン行きとなるみたいだ。

列車に乗るとき、「車内どこでも座っていいよ」と言われた。

臥鋪でもOK!但しコンパートメントで仕切られ、視界が悪くパス。

硬臥車両。

17:13定刻で出発!

結局、一番安い硬座が最も視界がいいので、ここに座ることにした。

ゆっくりと旅順を離れていく・・。短時間の滞在であったが、鉄道で去ると旅情が湧き、名残惜しくなる。

ここは旧関東州。旅順、大連は満州国に属さず、日本の直轄地であった。

踏み切を通過する様子。
車中で「歩き方」を読んでいたら、列車よりもバスの方が早く大連に着くことが分かった。

大連

大連→旅順間は各駅停車。18:22頃、「革鎮堡」という駅に停車。次が空港のある「周水子」なので、もうすぐのはずだ!

ブレてしまったが「周水子」駅。空港のある場所だ。

大連駅

18:44 大連駅到着。

夕刻の大連駅。

駅前の様子。

大連は今でも路面電車が現役で走っている。

天津街

20:43発の大慶行き始発列車まで時間があるので、駅前の繁華街・天津街をぶらつく。

夕食は何にしようかと、あれこれ迷ってしまう。

あれこれ見ていて気が付いたら20:00を過ぎていた!夕食なんか食べている場合ではなくなり、急いで大連駅へ走って戻る。

大連駅構内

荷物を受け取り、改札へ急ぐ。完全に油断していた。大慶行き20:43発の列車に乗車するのだ。

走る!

そして走る!

走りながら撮影!

隣に中国版新幹線(高鉄)が停車中。

なんとか間に合った!

車両は大連→上海路線と兼用しているみたいだ。

20:43定刻に発車し、大連を離れた。