曲阜
曲阜バスターミナル付近

兗州からバスで15分程度で曲阜へ到着した。兗州→曲阜は10㎞ほど。写真ばバスを降りたところ。このような露店で朝食を食べている人がたくさんいた。
万仞宮牆(外壁)

バスターミナルから孔廟入口の万仞宮牆は近く、周辺の雰囲気から迷うことは無い。


「孔廟・孔府・孔林」は世界文化遺産に登録されている。

孔廟と孔府は城壁で囲まれている。

城壁の中へと入って行く。



入場券を購入。「孔廟、孔府、孔林」の通票(セット価格)で90元。
孔廟
弘道門

弘道門。孔廟とは、春秋戦国時代の魯国の哀公が、孔子の亡くなった翌年(紀元前478年)に孔子を祀るために建てた廟である。その後、増築を重ね、清雍正帝の時代、泰山の岱廟とともに紫禁城と同じ宮殿建築様式の導入が許された。


奎文閣

奎文閣。

奎文閣は、歴代皇帝から孔廟に下賜された書籍や書画、典籍を保管するために建てられたもので、中国を代表する古代木造建築の一つでもある。
十三碑亭

十三碑亭。ここには13棟の碑亭がある。歴代皇帝が孔子を讃えた石碑が、それぞれ安置されている。

大成門

大成門。



杏壇

杏壇。

ここで孔子が弟子に講義をしたらしい。


大成殿

大成殿。



紫禁城の太和殿に似ている。

玉座さながらの建築様式。

清朝皇室からも、孔子がいかに尊ばれていたかが分かる象徴でもある。

これも紫禁城でよくみられる光景だ。

誕跡殿




誕跡殿。



安漢里画像

安漢里画像。前漢時代の墓石画像である。

これは直接的に孔府とは関係ないが、1937年曲阜市東部の韓家舗で発見され、ここで一部展示されている。

約2000年前の前漢時代の墓石画像である。四神や人物・神仙などを精巧に彫刻した前漢時代を代表する石刻芸術である。

墓の石材に「山魯市東安漢里禺石也」と刻まれており、安漢里画像石と呼ばれるようになった。

画像が彫られている、いくつかの墓石が展示されている。

孔宅故井

孔宅故井。

名前の通り、孔家で使われていた井戸である。




孔府

ここからが「孔府」のエリア。「聖府」は孔府の入口で、正門である。「孔府」とは孔子直系の宗家子孫が代々住んでいた邸宅である。孔廟と孔林を守り、管理するため、宗家子孫がここへ住み着いた。ちなみに孔子直系宗家の子孫は今も存在しているが、現在ここには住んでいない。

1949年、国共内戦で中国共産党に形勢が傾き始めた頃、蒋介石の保護の下、台湾へ亡命してしまった。

中国の歴史ドラマで「孝庄密史」というものがあり、清軍が李自成を追って北京入城した際、孔子宗家の子孫が弁髪免除を摂政王ドルゴンに懇願したが却下されるシーンがを見た。

孔廟、孔林がある山東省はかつて遼、金、元、清と異民族に支配されてた。孔家は歴代、異民族の支配は受け入れてきたが、同じ漢民族同胞の、共産主義というイデオロギーは受け入れなかった。
三堂

三堂。別名は「退庁」。衍聖公(孔子の嫡流子孫)が孔家の内部事務や家族間の問題、使用人に関する案件などを処理した執務室。

門額の「六代含飴」とは「孫と楽しく暮らす天倫の喜び」を表す故事。「六世代が仲良く暮らし、子孫繁栄の幸福を享受する」という意味が込められている。その下の書は孔子第67代孔毓圻(こう いくき)が書いた蘇軾の『後赤壁賦』。
前上房

門額には「宏開慈宇」と記されている。ここは前上房という場所で、一族の応接・家族行事が行われた部屋である。
前堂楼

門額には「松筠永春」と記されている。ここは 前堂楼という場所で、一族の居間、生活空間である。

続いて孔林へ行く。孔廟・孔府は同じ城壁内にあり、前後して続いているが、孔林は少し離れた場所にある。
