鄒城
鄒城駅
朝起きると既に山東省へ入っていた。
ここは鄒城駅。春秋戦国時代の諸子百家の一人、孟子の出身地だ。
孟子は性善説を説き、儒家の中では孔子に次いで偉い人物だ。
鄒城を離れる。
上海→曲阜へ
今回の旅行の移動ルート。
兗州
兗州駅到着
程なくして兗州(えんしゅう)に到着。ここで下車した。
改札を出る。
駅前の様子。
兗州駅。
兗州バスターミナル
鉄道駅前の通りの向こうにバスターミナルがあった。
いかにも北方のローカル都市といった雰囲気があり、上海と雰囲気が全く違う!
バスの時刻表。こちらは兗州近場行き。
目的地の曲阜までは8:00~18:30の間15分おきにバスが出ている。
兗州から遠方都市域の時刻表。ご参考まで。
兗州→曲阜までは5元。
待つことなく、曲阜行きのバスに乗車した。
曲阜
兗州からバスで15分程度で曲阜へ到着した。兗州→曲阜は10㎞ほど。写真ばバスを降りたところ。このような露店で朝食を食べている人がたくさんいた。
万仞宫墙
バスターミナルから孔廟入口の万仞宫墙は近く、周辺の雰囲気から迷うことは無い。
「孔廟・孔府・孔林」は世界文化遺産に登録されている。
門票を購入。孔廟、孔府、孔林の通票で90元。
孔廟
先ずは孔廟へ入る。
孔廟とは、春秋戦国時代の魯国の哀公が、孔子の亡くなった翌年(紀元前478年)に孔子を祀るために建てた廟である。その後、増築を重ね、清雍正帝の時代、泰山の岱廟とともに紫禁城と同じ宮殿建築様式の導入が許された。
奎文阁
奎文阁。
十三碑亭
十三碑亭。
孔府
孔府の入口。
孔府とは孔子直系の宗家子孫が代々住んでいた邸宅である。孔廟と孔林を守り、管理するためにここへ住み着いた。
大成門
大成門。
杏壇
杏壇。
ここで孔子が弟子に講義をしたらしい。
大成殿
大成殿。
紫禁城の太和殿に似ている。
玉座さながらの建築様式。
清朝皇室からも、孔子がいかに尊ばれていたかが分かる象徴でもある。
これも紫禁城でよくみられる光景だ。
誕跡殿
誕跡殿。
安漢里画像
安漢里画像。
孔宅故井
孔宅故井。
名前の通り、孔家で使われていた井戸である。
ちなみに孔子直系宗家の子孫は今も存在しているが、現在ここでは生活していない。
1949年、国共内戦で中国共産党に形勢が傾き始めた頃、蒋介石の保護の下、台湾へ亡命してしまった。
中国の歴史ドラマで「孝庄密史」というものがあり、清軍が李自成を追って北京入城した際、孔子宗家の子孫が弁髪免除を摂政王ドルゴンに懇願したが却下されるシーンがを見たことがある。
孔家は代々、異民族の支配は受け入れてきたが、同胞であっても共産主義というイデオロギーの違いは受け入れられなかったということになる?
続いて孔林へ行く。
孔廟・孔府は隣接しているが、孔林は少し離れた場所にある。
そのため輪タクで移動した(5元)。
1.5㎞ほどの距離なので、歩いて行けないわけではないが、この日はとても暑かった。
途中、電光掲示板があり、気温「42℃」と表示されていた。まだ午前10時過ぎである。
孔林
孔林の内部はかなり広く、敷地内はカートに乗って移動する。カートの乗車代金は確か通票に含まれている。
このように、林の中に墓石があちこち見られる。
なんというか、とても神秘的な光景だ。
これらは全て孔子の子孫及びその夫人、側室たち一族のお墓である。
孔林には約3,600の墓石がある。
途中、何か所かカートを降りて見学する。
孔子の弟子の子貢の墓。
子貢は孔子の死後6年間、ここで墓を守った。
そしてその隣に孔子の墓地がある。
もともとの墓石は文革の時に破壊されてしまった。
再びカートで移動。
2000年以上に渡り、孔子一族がここに埋葬されている。
本当にカートに乗りながら眺める子の光景は神秘的で、外の気温が40℃を超えているのを忘れさせるほど、神聖さを感じてしまう。
孔林には30分ほど滞在し、見学した。
孔林の見学を終えたのはちょうどお昼12:00頃で、丸一日三孔見学に当てていたが、意外にも午前中で終了してしまった。
小肥羊/曲阜店
孔林から再び輪タクに乗り、お昼を食べに小肥羊へやって来た(10元)。
曲阜に小肥羊があるかを事前に調べ、場所も確認してあった。
どうしても小肥羊へ来たかったので一切迷わず来た。
だけど後で振りかえると、日中40℃超えの日に火鍋を食べに来たのは少し奇異な行動だったかも。
曲阜バスターミナル
食後、バスターミナルへ戻ってきた。
泰安までのバスの切符を購入(25元)。
泰安行きのバス。
曲阜から泰山まで1時間くらいで、道中爆睡していた。