北京市

北京/南鑼小巷散策 2023年夏の北京旅行㉒

北京

南鑼鼓巷

周口店観光後、小清河橋を見に行き、その後北京西駅から地下鉄8号線で南鑼鼓巷へやって来た。18:00前に到着。

南鑼鼓巷の入口。

この通りは700年の歴史があるが、観光地として発展したのはほんの20年ほど前。レトロな雰囲気が残る、四合院の建物が多く集まっている場所にカフェが出来たところ、欧米のバックパッカーが多く集まり、短期間でレトロとお洒落な混在する人気スポットに成長したらしい。

真夏の18:00過ぎ、人は多い。

お土産用、テイクアウト用の全聚徳北京ダックがあった。

ジャンボコーラ25元。

コーラそのものよりも、入れ物代に子コストがかかっている。

ここでは飲まなかったが、夏の北京旅行中では酸梅湯は結構飲んだ。「湯」の漢字が使われているが、お湯ではなく、冷たくて酸っぱい飲み物である。さっぱりとしていて暑い中飲むと疲れが取れる気がする。

雨児胡同

メインの南鑼鼓巷通りに交差する形で、いくつか「胡同」があり、観光スポットが点在している。

「雨児胡同」。ここは探索しなかった。

南銅鼓巷を直進する。

帽児胡同

「帽児胡同」。少しここの胡同を探索してみる。

奥絵と進んで行く。

この辺は旧清朝皇族の邸宅が多く集まっている。四合院建築で、「四合院」とは北京特有の、壁に囲まれた住居である。

2000年代には再開発の波に押され、取り壊しが進んだが、最近残っているものは保存が進み、ホテルやカフェなど有効活用されている傾向がある。

達貝子府

現在は一般の方が住んでいるので、公開はされていない。どういう人が住んでいるのだろう。政府の高官が住んでいるという訳ではない。

可園

続いて「可園」という邸宅門前に来た。。

「可園」は清朝末期の光緒年間、大学者であった文煜の屋敷の庭園。

また「可園」は中国北部で最も保存状態の良い個人庭園の一つであるらしい。

「可園」は清朝光緒年間の大学者文煜の旧邸宅。

邸宅門の上の文様。

「可園」(文煜旧邸宅)周辺の地図。

婉容旧居

続いて「婉容旧居」を探す。この帽児胡同へ来た理由は「婉容旧居」を見学するためである。百度地図で「南鑼鼓巷」を調べたところ、「婉容旧居」が目に入ってきた。

「婉容」とは誰かというと、清朝第12代皇帝宣統帝溥儀の皇后である。つまり中国史上でいうラスト・エンプレスである。

地図で調べた限りでは、この場所であるが、「婉容旧居」との標識は見つからない。

ここだと分かっても見学可能かは分からない。この辺の邸宅はほぼ民間に払い下げされ、個人の私邸宅となっている。見学できたとしても、既に19:00過ぎているのでこの日は時間的に不可だ。

しかし間違いなく、ここである。

暫く周辺を散策してみる。

どこかの四合院が改装され、火鍋店となっているところもある。こういうところで一度は食べてみたいが、おひとり様だと入れない。

南鑼鼓巷

再び「南鑼鼓巷」へ戻って来た。

パンダショップがあったので、入ってみた。

茶色のパンダがいるが、これは実際に陝西省南部の秦嶺山脈に生息しているパンダである。パンダというと四川省のイメージが強いが、パンダの生息地は四川省北部の陝西省南部の秦嶺山脈、四川省北部の岷山山脈、甘粛省南部に分かれて生息し、顔容姿も微妙に違う。

ずっとみていると、何かしら買いたくなってきた。

買いたい衝動を抑え、店を出た。

再び北上する。

鼓楼東大街

鼓楼東大街へ出てきた。岷山山脈はここで終点である。

この後、鼓楼、什刹海方面へ歩いて行く。