北京市

北京/周口店の北京原人発掘現場 2023年夏の北京旅行⑳

北京

永安路

宿泊していた北京東方飯店近くの永安路。すぐ近くには京劇が鑑賞できることで有名な前門建国飯店がある。

永安路のバス停。これから北京原人の遺跡が発掘された周口店遺跡へ行く。7月末の大雨の影響で、2週間近く閉館されていたが、昨日たまたま再開されたことを知り、行ってみることにした。

ここから六里橋東で行く。地下鉄でも行けるが、ホテルから虎坊橋の駅より、こちらの方が近いので、バスで行くことにした。

北京のバスには必ず1名、乗務管理員が乗車している。

これは2018年に重慶で乗客の女性が些細なことで運転手に殴り掛かり、バスごと橋から転落して全員死亡する事件が発生したことが発端である。定年退職後のおっちゃんが多く、車内で暴力沙汰の事件が発生した場合、頼りにならない気がする。ただ何かあった時、いるだけマシかも。

六里橋東

永安路からバスで10分程で「六里橋東」へ到着した。このバス停、いくつもの路線が集中し、特に北京市内から盧溝橋など南西方面へ行く際の要のバス停である。

貼り紙がしてあった。2023年7月末の北京大雨の影響で、快速バスは運休停止となっているらしい。

六里橋東から836路のバス停で行ける。周口店路口で下車。

917路のバスでも行ける。

快速130路だと停車駅が少なく、早く着けるらしいが、運休中だった。

六里橋東のバス停はいくつもの路線が入り混じっており、50mほど横に細長く、路線ごとのバス停が連なっている。836路のバスが先に来たので、それに乗車した。

北京市内から周口店までの距離感は上図の通り。距離にして45㎞、バスで1時間ほど掛かる。料金は12元。

盧溝新橋

六里橋から周口店へ行く道中、3日前に見学した行った盧溝橋近くの盧溝新橋を通るのを知っていたので、乗車15分くらいし、意識して盧溝新橋に差し掛かった時、盧溝橋をバスから眺めていた(写真は後で撮ったもの)。

すると次の瞬間、もの凄い光景を目の当たりにした。テレビやネットで報道されていた、洪水で倒壊した橋が見えたのだ。盧溝新橋をまだ渡り切っておらず、盧溝橋と並行して橋が存在していた。盧溝橋の近くにあると報道されていたが、3日前に盧溝橋へ行った時は発見できなかった。まさかこの位置にあったとは思わなかった。この後、周口店遺跡見学の帰りに、現場に行ってみた。

房山南関立交橋北

50分程して、房山地区へ入って来た。

この辺、7月末の大雨で洪水被害が酷かった地域だが、現在は平穏を取り戻している

周口村入口

ちょうど1時間で「周口村路口」に到着した。

しかし周囲はこんな感じで、近くに何もなさそう。百度地図で確認したところ、降り場所を間違えたことに気付いた!一つ先の「周口店路口」で下車すべきであった!!

名前が似ているし、「周口村路口」と「周口店路口」の違いなんて、来てみないと分からない。ちなみに「周口店路口」から周口店遺跡まで1.8㎞ある。

次のバスはなかなか来ない。ここから周口店遺跡まで3㎞近くあり、徒歩でも行けないことはないが、気温が高過ぎて歩く気にはならないし、危険である。

バスを待っていたら、先にバイクタクシーが通りかかったので、周口店遺跡まで乗せて行ってもらった。料金は10元。

周口店村

遺跡の入口近くに広場があったので、そこで降ろしてもらった。

線路と踏切があり、その向こう側に周口店遺跡がある。

駅があるが、廃駅のようだ。ちなみに「周口店駅」である。もともとこの辺、石灰石や錫など鉱物が取れる場所で、鉱物の採掘時に北京原人の骨が発見された経緯がある。

実際に廃駅となっているかは分からない。

周口店遺跡

10:30頃、周口店遺跡へ到着した。

北京原人の像。

周口店遺跡は1987年世界遺産に登録されている。中国の世界遺産の中では、意外にも2番目に早い時期に登録されている。

世界遺産であるが、人がいない。ちなみに自分の入場はこの日、30番目であった。同じ世界遺産の故宮博物院だとこの時間で1万人は超えていると思う。

ここもWeChatによる事前予約が必要だ。但しこの時、WeChat Payを使える設定が出来ていなかったので、入場口にいた係員に交渉したところ、支付宝で30元支払って入場できた。現金は不可だった。

中へ入り、上へ登る。

猿人洞

「猿人洞」。ここに北京原人の骨が発掘された現場がある。

中へ入る。

ドーム状に屋根が設置されている。もともとは石灰石の採掘現場だ。

北京原人遺骨第一発掘現場

1929年に北京原人の頭蓋骨が発見された現場。

ここらしい。

発掘現場の岩を触ってみた。

感慨深く、近くを右往左往する。

暫くして「猿人洞」の外へ出た。

周口店遺跡園内はもと鉱山の採石場であり、山になっている。歩道があるので行きつくところまで行ってみる。

周口店遺跡科普体験館

築山の一番高い場所に「周口店遺跡科普体験館」というものがあったので、中へ入ってみる。

「周口店遺跡観測センター」の看板もある。

中の様子。

動画が上映されていたので、少し見てみた。

ドローンを使って、何かデジタル管理をしているらしい。

はっきり言って何の説明の動画なのか分からなかった。

出口付近に北京原人のお土産が売られていた。

買う人、いるのだろうか?

出入口付近の様子。

この人類の偉大な進化の過程を見ていると、なんかとても感慨深くなってきた。

こんな太古の昔からやっていたんだ、Don’t worry, I’m wearing Pants!!

科学家記念園

体験館の隣には、北京原人発掘に多大な貢献をした考古学者たちの墓地があった。

北京原人の遺骨が発掘された1929年当時は、民国混乱期の最中で、また1933年頃から日本軍もこの遺跡の嘉日目を付け、奪い合いが始まったらしい。1937年7月には、近くの盧溝橋で発砲事件が起こり、日中戦争へ突入し、発掘作業中断され、この混乱期に北京原人の遺骨のほとんどは行方不明になった。

山の上の方は一通り見学したので、下へおりる。

「第2地点」。北京原人の遺骨の他、サイや大鹿、ハイエナなど、さまざまな動物の骨も見つかっている。

ところどころにここで骨が見つかった動物の置物が置かれている。写真はハイエナ。一時期、ここで砕けた原人の骨が見つかったことから、北京原人は共喰いする習慣があったなどの説が浮上したが、ハイエナの骨が見つかったことにより、砕けた骨はハイエナによるもので、共喰い説は否定された。

遺跡裏山の様子。

北京市内方面。なんとなく高尾山からの風景の感じに似ている。

遺跡発掘現場の再現した様子。新中国建国後、発掘は再開されたが、1980年代に全て発掘しつくしたとして、終了宣言が出された。ここで発掘された遺骨のほとんどは海外へ流出し、ほとんど周口店遺跡にはない。

周口店遺跡には1時間ほど見学し、外へ出た。

線路を渡り、周口店遺跡を振り返る。

がけ崩れがあったので、無人駅のホームを渡り、近くへ行ってみた。

原因は分からないが、7月末の大雨被害によるものかもしれない。

近くにはきれいな川が流れていた。

周口店遺跡から10分程歩いた場所に「周口店遺跡博物館」があるので、歩いて行ってみる。

ここ近年、北京の夏の気温は40℃を超えるのが当たり前になっていて、僅かな距離でもキツく感じる。

周口店遺跡博物館

10分程歩き、周口店博物館に到着!

ここも入館料30元する。少し躊躇ったが、中は冷房が効いていて涼しいはずなので、休憩も兼ね、入ることにした。

館内の様子。

展示されているものの全てがレプリカである。

発掘に絡んだ人たち。

先ほど行ってきた「猿人洞」の第1発掘現場の模型。

この画面のQRコードをスキャンすれば、音声説明を聞くことが出来る。

細かい骨の展示。

北京原人の最大の特徴は、火の使用である。

北京原人には死者を埋葬する習慣があったらしい。ちなみに現在の考古学的見解では、北京原人は現人類の祖先ではない。人類進化の途上の亜種であり、途絶えてしまった。そのため現中国人の祖先ではない。

チビッ子向けに、発掘作業の実演実習が行われていた。

14:30頃、周口店博物館を出た。隣にKFCがあったので、遅めの昼食を食べに入った。

全てスマホ決済である。

店内僅かに席があるが、客は宅配の受け取り人だけで、自分だけ個人客であった。そもそも世界遺産なのに周口店遺跡の見学者数は超少なく、暑さもあり、この辺ほとんど人を見かけない。

日本ではほぼ行くことはないが、中国へ来たら、KFCは毎回から必ず食べている。

KFCの目の前が「周口店路口」のバス停である。食後、少し休み、15:00頃、バスが来るのが見えたので、北京西駅行き836路のバスで市内へ戻った。