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北京/円明園の西洋楼閣遺跡 2023年夏の北京旅行⑩

北京

円明園遺跡公園

円明園

円明園は北京市海淀区にある清朝の離宮。頤和園、北京大学、清華大学がある一帯にあり、総面積は347ヘクタールある。1709年、清朝4代皇帝康熙帝が、皇子の胤禛(いんしん)に下賜した庭園がその起源となる。胤禛が清朝5代皇帝(雍正帝)に即位、1725年(雍正3年)以降様々な建物が増築され、庭園も拡張された。
乾隆帝の時代には、円明園の東に長春園、南東に綺春園(のちに万春園と改称)が設けられた(この円明園、長春園、綺春園を総称して、広義の円明園となる)。長春園の北側には、イエズス会士ブノワカスティリオーネらが設計にかかわった噴水が設けられ、西洋風の建物・西洋楼が建てられた。嘉慶帝の時代にも大規模な修築が行われ、揚州から最高級の建具が取り寄せられた。そして、文源閣には四庫全書の正本が収められた。ヨーロッパでは”Old Summer Palace”などの名で紹介されていた。
しかし、1856年咸豊6年)に勃発したアロー戦争(第二次アヘン戦争)に際して、北京までフランスイギリス連合軍が侵入、フランス軍が金目のものを全て略奪したのち、遠征軍司令官エルギン伯の命を受けたイギリス軍が「捕虜が虐待されたことに対する復讐」として徹底的に破壊し、円明園は廃墟となった。

出典:Wikipedia

地下鉄4号線「円明園」駅

北京市地下鉄4号線で頤和園「北宮門」から2駅、頤和園正門の最寄り駅「西苑」から1駅で「円明園」駅に到着。

英文表記では拼音の「YUANMINGYUAN Park」と書かれているが、英語名では「Old Summer Park」と呼ばれる。

円明園近辺の地図。

円明園は頤和園同様、とてつもなく広い。

地下鉄の駅を出た。円明園は今回で4回目であるが、前回来た時はまだ地下鉄が出来ておらず、北京市内から市バスで来た。

円明園遺跡公園

円明園の正門入口。

園内はとてつもなく広いので、入場口はいくつかあるが、通常はここから入園する。

綺春園

円明園は大きく3つの園で構成されている。綺春園(万春園)、長春園、円明園、総称して「円明園」と呼ばれている。

15:30を過ぎに入園したが、結構混みあっていた。

円明園に来た目的は「長春園」地区にある「西洋楼遺跡」の見学である。正門からそこまで徒歩30分近くある。

前回来た時からかなり時間が経っているが、4回目なので方向は頭の中に入っている。

あまりにも暑く、水分補給のため「酸梅湯」を買った(15元)。

Alipayで購入したが、売店が激ごみしていて、きちんと引き落としされる前に手渡された。

キンキンに冷えていて、冷蔵庫から出されるとすぐに水滴が出来た。甘酸っぱくて暑いときには最適な飲み物である。

西洋楼遺跡区

まず初めに「海晏堂」遺跡の周辺を見学する。

1860年英仏連合軍による略奪、破壊の末、廃墟となった。西洋楼閣の殆どは木造ではなく、石造建築であったので、焼失することも無く、全てを持ち運ばれることも無く、石造の残骸が今尚残っている。

円明園の80%は既に修復されたが、ここ西洋楼閣があった建物は、周恩来の指示で歴史の教訓として再建しないで残されることになった。

しかし個人的にはかつての栄華を誇った西洋楼閣を全て再建して欲しい。周恩来在命中の頃は、再建したくてもそんな余力、国力が無かったが、今の中国の技術力、国力を以ってすれば、余裕で再建できるはず。

「海晏堂」遺跡

「海晏堂」は1759年に建設された。

当時の「海晏堂」の絵画。建物の前に「水力鐘噴泉」がある。

噴水の周囲には「肖生十二支像」と呼ばれる12の干支の像があった。頭は干支の動物で、体は人体で構成されている獣首人身像である。2時間ごとに12体の干支の像が一斉に水を噴射していた。1860年の英仏連合軍の円明園略奪の際、これらの像の頭がもぎ取られ、持ち出されたとされているが、実はこの時の略奪からは難を逃れ、1930年頃まで北京市内の某所に存在していた証拠写真があるとの主張もある。

海晏堂「水力鐘噴泉」遺跡

「海晏堂」の「水力鐘噴泉」があった場所。2009年この近くレプリカが建設された。

こちらが十二肖生十二銅像のレプリカ。

北側にある6体の像。順に「鼠」「虎」「龍」「馬」「猿」「犬」。十二支は現在中国と日本で若干名称が異なっている。

続いて南側の像。順に「豚」「鶏」「羊」「蛇」「兔」「牛」。十二の像のうち「蛇」以外は何かを手で持っている。「蛇」が何も持っていないのは、蛇に手が無いからではない。十二肖生像の体は人間である。

十二肖生像のうち「牛」「馬」「豚」「虎」「猿」「鼠」「兔」の7体は海外で発見され、中国人実業家が中心となり、オークション等で競り落とし、中国に返還された。

「鶏」「羊」「犬」「蛇」「龍」の5頭は未だ所在不明である。

「犬」の獣首もまだ所在不明である。

当時は2時間おきに十二肖生像の口から噴水が噴き出ていた。今も実演しているらしいが、17時を過ぎているせいか、噴水の光景は見られなかった。

かつてここに十二体の肖生銅像が置かれていた。

大水法遺跡

続いて円明園の顔ともいうべき「大水法」旧跡。

この噴水は、左右二つの塔のてっぺんから水が流れ落ち、一頭の雄鹿と十頭ある猟犬の彫刻から順番に水が流れ出る仕掛けだった。

今はその面影すら見ることはできない。

噴水前の水溜まりに家鴨らしい鳥が数羽いた。

この風景の写真は山川出版社「世界史」の教科書にも載っている。

円明園は1860年英仏連合軍に徹底的に略奪、破壊された。

160年以上経った今も生々しくその痕跡が残っている。

遠瀛観

「遠瀛観」。ここは大水法の後方に且つてあった西洋鐘楼式宮殿旧跡。

かつての姿の図。

方外観

「方外観」。ここは乾隆帝のウイグル皇妃であった容妃の礼拝用に立てられたイスラム様式の建物であったらしい。

養雀籠

「養雀籠」。

ここでは孔雀が飼われていたようだ。

最近になり、このように発掘調査が行われている。

続いて「福海」へ向かう。