北京市

北京/頤和園の景観 2023年夏の北京旅行⑨

北京

留学路の店で朝食

宿泊していた北京市万明路の東方飯店から歩いて5分ほどの留学路。到着翌朝、たまたま珠市口駅へ行く際、裏道を通って行ったら発見した。朝食用の店が多くあり、北京滞在中、頻繁に通っていた。

蓮湖賓館。招待所レベルの宿泊所である。この通り、このような安宿も多くあったが、国内自国民向け用で、外国人は宿泊出来ない。

同じような店が連なっているが、たまたま初めに入った店に通っていた。

今日は豆腐脳と揚げ餅にした。

店内の様子。

豆腐脳5元、揚げ餅3元、計8元だった。右側の丸いのは揚げ餅で、内側の表面が餅になっている。

とても美味しかった。

珠市口

食後、地下鉄「珠市口」駅へ到着。これから地下鉄で頤和園に行く。

北京市の地下鉄の券売機を使用するには中国の身分証明書が必要となり、外国人旅行者は使用できなくなったが、各駅にはこのような窓口が最低1か所はあり、ここで切符を購入できる。

地下鉄16号線「達営官」駅

珠市口から地下鉄7号線で4つ目の「達官営」で地下鉄16号線に乗り換え。

ここから北上していく。

地下鉄16号線「西苑」駅

頤和園正門の最寄り駅である「西苑」に到着。この駅、他の地下鉄駅とはちょっと風格が違う。

駅構内、至る所かなり凝っている。

「西苑」は地下鉄4号線も乗り入れていて、ここから北京動物園、北京南駅にも1本で行ける。

駅前にあった門。

「西苑」駅は頤和園の最寄り駅ではあるが、頤和園正門まで徒歩15分位ある。そのせいか駅前の道に輪タクの行列が出来ていた。地下鉄を降りて、地方から来たと思われる家族連れの観光客が値段交渉して乗っていたが、やり取りしている中「100元」と聞こえた。歩けばいいのにとも思ったが、暑いし、少し遠く地図で場所探すの面倒だし、お金に余裕があれば乗るのも有りかもしれない。

頤和園

清朝の離宮、皇家園林で、1860年に円明園が英仏連合軍に破壊された後、西太后が1888年に建設した。ゼロから造ったという訳ではなく、この地区にあったいくつかの寺院等を再建し、まとめ上げ、ひとつの庭園に仕立て上げた。この建設に軍費を流用したので、1894年の日清戦争の敗北、国家滅亡への要因にもなった。1998年ユネスコの世界遺産に登録。英文表記は「The Summer Palace」。

頤和園観光の案内
  • 年中無休であるが、北京市内各所の博物館が毎週月曜休館になるため、月曜はここに観光客が集中する傾向がある。ただ園内の見所、仏閣楼、蘇州街は月曜休館である。
  • 微信で事前予約、支払いが必要。入場料30元。時間帯別の人数制限有り。外国人は正門窓口でチケット購入できる可能性あり。

頤和園東宮門(正門)

頤和園に到着した。西苑駅から15分かかった。前回来たのは20年以上前だ。その時は頤和園まで行く地下鉄はまだ開業しておらず、西直門からバスで1時間近くかかっていた。

頤和園正門前広場の様子。

由緒ある邸宅や建築物の前には獅子像がある。獅子は魔除けの効果があると見做されていた。

頤和園正門。正門は閉ざされていて、正門を潜って園内に入ることはできない。

ここも事前登録制となっており、WeChatでの事前入場登録と支払いが必要。この時、Alipay決済は出来ていたが、WeChat決済登録はしておらず、頤和園と、この後行く円明園はホテルの従業員に頼んでやってもらっていた。

しかしながら、ここも切符売り場の窓口が一か所開いていた。9歳以下の子供、60歳以上の高齢者、身障者は入場無料である。WeChatでの登録は、予約から支払いまで一貫した系統になっているので、入場料を支払う必要が無い人の事前登録が出来ないようだ。そのような特例者向けに開いているのだ。自分も昨日、八達嶺で同じようにチケットを購入できたが、中国の大型連休などでない限り、外国人はパスポートを見せればここでチケット購入出来るかもしれない。

頤和園内の地図。

仁寿門

正門である東宮門から園内に入った場所は、宮殿区と呼ばれる地帯である。宮殿区にある仁寿門を潜る。

仁寿門を潜ると大きな石がある。この石は「寿星石」と呼ばれ、光緒12年(1886年)、現北京大学の場所にあったものを、ここ頤和園に運ばれてきた。

仁寿殿

仁寿殿。仁寿殿の前にあるこの動物像は「瑞獣」といい、中国古来より動物界の長とされている。

ここ仁寿殿は西太后と光緒帝が外国大使と謁見を行う場所であった。

仁寿殿の中の様子。扉が開いていたが、建物の中には入れない。

玉瀾門

続いて玉瀾門を潜り、玉瀾堂へ向かう

玉瀾堂

玉瀾堂の庭園。

玉瀾堂。

玉瀾堂は乾隆15年(1750年)に創建され、咸豊10年(1860年)に「英仏連合軍」によって焼失したが、光緒12年(1886年)に再建され、光緒帝の園内の寝殿となった。光緒24年(1898年)戊戌の変法が失敗した後、西太后により光緒帝はここ玉瀾堂で幽閉された。

この日、40度近い猛暑であったが、すごい身なりのおばちゃんがいた。

完全日焼け防備の体制である。園内、同じような恰好の女性を何人か見かけたが、逆にこの方が半袖短パンでいるより涼しいかもしれない。同調できる。

宜芸門

宜芸門。中へ入ってみる。

宜芸館

宜芸館。乾隆15年(1750年)に創建。図書室、書斎として使われていたが、12年(1886年)の改修後、光緒帝皇后の居室として使用された。

中は四合院形式の見事な構造となっている。

建物の中はカーテンが敷かれ、見ることが出来なかった。

徳和園

徳和園。ここは京劇の観劇用建物で、3階建てで構成されている。

文昌閣

文昌閣。

文昌閣を潜り、昆明湖の方へ向かってみた。

昆明湖

昆明湖の畔に辿り着いた。

昆明湖は頤和園全体の4分の3を占めている。

昆明湖に浮かぶ小島へ行ってみる。

知春亭

知春亭。

昆明湖の東側にあり、最も早く春を感じることができることから、この名前が付けられた。ここから眺める万寿山の景観がもっと素晴らしいとされている。

その景色を眺めてみた。右手に見える万寿山。

確かに様になっている。

ズームで拡大。

昆明湖西側の様子。

耶律楚材祠

知春亭の向かい側に耶律楚材を祭る廟がある。耶律楚材は遼の時代の王族、官僚で、遼が元に滅ぼされ、チンギス・ハン、オゴタイ・ハンの2代に渡り仕えた官僚でもある。以前の地球の歩き方には、ここに耶律楚材の墓があると記載されていたが、墓があるかは不明。門が閉ざされて現在は非公開だ。頤和園研究院も中にある。

門の隙間から中を覗いてみた。

隣接して頤和園博物館もあった。時間がかかりそうなので今回入らなかった。

昆明湖の畔に戻ってきた。

前方に白い橋が見えるので、行ってみることにした。

頤和園南門(新建宮門)

途中、南門の出入口があった。

十七孔橋

白い橋の袂に着いた。

この橋は十七孔橋といい、昆明湖に浮かぶ南湖島へ繋がっている。

乾隆15年に創建。現存する皇家園林の橋の中で最も長く、全長150m余りある。

十七孔橋を渡ってみる。

南湖島へ到着。

南湖島内部を探索してみる。

南湖島から対岸を眺めてみる。

東側から万寿山を眺めてみた。

涵虚堂

南湖島にある涵虚堂。

残念なことに、ゴミが無造作に放置されていた。

南湖島から昆明湖を眺める。

昆明湖からの景色。

南湖島には20分ほど滞在し、対岸へ戻った。

十七孔橋を渡り戻る。

昆明湖を歩いて一周しようと、更に西の方へ進んでみた。

はじめの5分位は昆明湖を一周するぞ!と張り切っていた。

十七孔橋より西側は何もなく、次第に人も少なくなってきた。

歩けば歩くほど、先が遠く感じてきた。

猛暑の中、20分位歩き、気力が無くなって来た。

歩いている途中、地図があった。自分が居るのは赤丸の場所で、歩いて一周なんて無謀であることが分かった。
頤和園観光の後、円明園に行く予定なので、時間も足りない。早々に徒歩一周は諦め、引き戻った。

宮殿区へ戻る途中、昆明湖のボート乗り場があった。4人乗りボートで1時間80元である。

途中にあった売店。この頃、ちょうど正午くらい。午前中はまだ冷たい飲み物が売られていたが、どこの売店も既に完売していた。アイスは売られていたが、頤和園アイス1種類で、1つ25元(≒500円)と高かった。

万寿山区

正午過ぎ、東側の万寿山区へ向かう。

楽寿堂

万寿山区にある長廊へ向かう道中、楽寿堂を通り抜ける。

長廊

長廊に辿り着いた。

長廊の屋根内側には一つ一つ違う絵が描かれている。

精巧な絵画で大変お見事である。

長廊には約50m間隔で東屋があり、一つ一つ名前が付けられている。

渡り通路というより、日陰のベンチと化している。

ホテルから部屋に置いてある無料の水2本持ってきたが、それが尽きたので売店で冰紅茶を買った。6元だが当然冷えていない。冷えたものはとっくに売れ切れ、冷蔵補充が間に合っていない。少し休憩する。

排雲門

万寿山山頂にある仏閣楼への入口、排雲門。

この日は月曜であったが、排雲殿、仏香閣は月曜日閉館とのこと。わざわざ月曜を選んで頤和園に来たのであるが、それは市内の博物館、その他観光施設の多くが月曜休館となっている中、頤和園は開園しているためである。仏香閣の中には入れないが、帰りは万寿山の後ろの北門から出るつもりなので、万寿山を登り、北口へ向かう。

万寿山を登っている途中、南湖島が見えた。

現在地的には上部写真赤丸の箇所である。

本日休館の仏香閣を通り過ぎる。

智慧海

万寿山の上の仏香閣後ろにある智慧海。チベット仏教の建築物である。

ここには1100体の仏像が埋め込まれている。

万寿山の後ろ側からの景色。

下山していく。

万寿山の後ろ側の様子は、完全にチベット寺院の風景である。

蘇州街

万寿山の後ろ側は后山区と呼ばれるが、ここ最大の観光拠点である蘇州街へやって来た。

しかしここも月曜は閉館であった。

蘇州街へ入るには別料金10元が必要となる。

橋の上から蘇州街を眺めてみた。ここは18世紀の蘇州の街並みを再現した場所である。

本日月曜で休館であるが、見た感じ廃れている。

月曜以外だと賑わっているのか、疑問に感じた。

北宮門

14時過ぎ、北宮門へ到着した。

頤和園を出た。もう少しゆっくり観光したいところではあったが、この後、お隣の円明園へ行くので、頤和園観光はこれで切り上げた。真夏の猛暑の中であったが、十分満喫できた。今、振り返ると頤和園観光は月曜以外の日に、たっぷり一日かけて観光すべきだと思う。