新疆ウイグル自治区

カシュガル/高台民居 新疆ウイグル自治区・南疆鉄道の旅⑥

カシュガル

高台民居

「東門」で下車。バス停目の前の光景。周辺は一掃され、更地化されている。

写真奥の方に見える建物群がが高台民居。

写真ではわからないが、高台民居の周辺は川が流れており、目的地へ行くには、迂回していく必要がある。

カシュガル大バザール(大巴扎)

高台民居へ入る入口を目指して来たら、近くにバザール(大巴扎)入口があった。
中へ入ったが、購買意欲をそそるようなものはなく、エイティガール寺院周辺にも似たような雑貨の店があり、写真は撮らず、すぐに出て来た。

再び高台民居へ向かう。

高台民居風景区

おそらくここが高台民居への入口の一つ。この橋を渡ると向こう側の高台民居へ入れそう。

入口に検問などなく、高台居民区へ入れた。見た感じ、普通に人々が暮らしている。

入場料を取るとか、時間制限があるとか、いろいろ口コミを見たが、入ってみると、特になんの制限もなかった。

ここは、この後行く再開発された老城区と異なり、昔のウイグル族居住地がそのまま残されているようだ。

しかしながら居住環境としては、決して良いとはいえる環境ではない。。

荒廃している。

小さい子供達が戯れていた。

少し高い場所から眺めた、市街地方面の風景。

東湖公園方面の様子。

ここは民家のようであるが、お店である。

奥の方でこのようなものが売られていた。

外に出た。子供たちがいたので、写真を撮っていいか聞くと、頷いてくれた。
坊主頭の女の子がいるが、ウイグル族の女の子は小さいとき、誰でも一度は坊主にするらしい。
将来綺麗な髪の毛が生えてくるようにとかの理由で。

ポーズを取ってくれた。

迷路のようで、どこを歩いているのか全く分からない。適当にぶらつく。

赤ちゃんが寝ている。

このような土産物屋も何件かあった。

何で、ここでこのような場違いなものを置いているのだろう?

昔ながらのウイグル式建築物が現存するのは、観光客目線では喜ばしく思ってしまうのだが、実際に住んでいる人の立場からしたらどうなのであろう?

建築基準、安全性の観点からみてもどうなのだろうか?余計なお世話かkも知れないが。

さっき外から見えた赤ちゃん。
同じところを通ったら、後ろから「ニーハオ」と声が聞こえ、「コンチハ」とも聞こえた。

この子に声をかけられた。
この家もお土産屋を兼務していて、手に持っているウイグル式?の団扇を買わないか?と進められた。

普通語はOK。ちょっと話をすると、ここに住んでいた親戚のお姉ちゃんが日本へ留学しているとのことで、
「もしもし」と「コンチハ(こんにちは)」の2つの日本語を知っていた。
結構電話は掛かってくるらしく、普通話の「Wei」は日本語では「もしもし」と言うんでしょ!と言ってた。
普通語(マンダリン)は学校で学習しているといい、日常はウイグル語で話をしているという。

それよりも、適切な言葉が見つからないが、ここに住んでいても日本へ留学出来るんだ、と思ってしまった。

ここ高台民居には、1時間くらいいた。ほとんどの路地を通って回ったかもしれない。十分に見学出来て満足した。観光客は西欧人1組と漢族1組しか出くわさなかった。

来た時の入口とは異なるが、出口らしい方向へ向かう。

高台民居の外へ出た。

高台民居は周辺に川が流れ、またこのような塀にも囲まれ、他地域とは独立した居住区となっている。ここはそのまま観光地として残すのか、それとも取り壊されるのか、よく分からないというか、想像がつかない。
カシュガルは日本から簡単に行ける場所ではないが、もし今度また来る機会があったとしたら、その時、これらの建物は既に取り壊され、違う風景になっていると思う。

吐曼路

高台民居から出てきた場所に、吐曼路という大きい通りがある。

この通りの向こう側が旧市街地(老城地区)となっているので、そのまま行ってみることした。