甘粛省

敦煌/敦煌到着 シルクロード鉄道旅行⑭

敦煌郊外

嘉峪関→敦煌

8:00前に車掌が換票に来て起される。車窓の景色はこんな感じ。

朝4:00前に嘉峪関から乗車し、即効で熟睡できた。
嘉峪関の闇宿で3時間半、車中で4時間、十分睡眠が取れている。

砂漠に網掛している光景は2015年の南橋鉄道の旅でもよく見かけた光景だ。

植林保護のためと思われる。

この辺、西域と呼ばれる地域に入り、北京時間からみると日没も遅いが、日の出も遅い。
日の出時間は朝8:00くらいと思う。

敦煌

もうすぐ敦煌駅に到着。

8:34、定刻より若干早めに到着した。
ここ数年、中国の寝台列車に乗り、定刻より早く到着することがあるが、2010年以前では、決してあり得ないことだ。

ホームの様子。
ここの敦煌駅にははじめてきた。

「ここの」と言うのは、2回目に着た2005年当時、一時的に「柳園」駅が「敦煌」駅に改名していた時期が有り、その時、柳園の「敦煌駅」に着いた経緯があるため。

こちらはK367、蘭州発の敦煌号。

お!

なんという黄金の組み合わせ!

ようこそ敦煌駅へ!

路面からも飛天がお出迎え!

こちらは莫高窟の壁画にある「九色鹿」をモチーフにしたもの。

ちんたら歩いて改札を出る。

駅前広場の様子。

敦煌駅(駅舎)

敦煌駅!

タクシー乗り場。
タクシーを使う人は多くない。

駅前広場を少し彷徨い、バス乗り場を探す。

あった!
一律市内まで3元のバスで市内に向かう。このバス、市内→莫高窟センター敦煌駅→市内と巡回している。
満員にならなくても、適度な時間、人数により出発する。

バスの中の様子。

大きい荷物は前方に積み込まれる。

市内へ向かう。

市内へ入る門。

久々に敦煌の街へやって来た。

絲路怡苑大酒店の前がバス終点で下車する。

敦煌賓館

歩いてすぐの敦煌賓館へ。
今回の旅、敦煌の宿はちょっと奮発した。
鳴沙山近くの「敦煌山荘」とかなり迷ったが、敦煌夜市に行きたかったので、こっちにした。

ロビーの様子。

敦煌賓館ロビーにある飾り物。
いかにも敦煌らしい、反弾琵琶の像。

中庭の様子。

建物の壁に描かれた画。

自分はちょっとランクを上げた部屋を取っていたので、主楼のフロントでのチェックインはパス、ベルボーイに荷物を持たれ、道路を隔てた貴賓楼に通された。

貴賓楼の入口にあった絵画。

今回宿泊したお部屋。

ウェルカムドリンクとかフルーツとかあったけど、なんかちょっと物足りない。
部屋はキレイで申し分ないけど、ごく普通の部屋といった感じ。
欲言えばもうちょっと広さ(開放感)が欲しかった。

洗面室。

少し休んで、外へ出た。
敦煌賓館入口の隣には列車の切符売り場がある。
新彊内鉄路移動の切符を買っていなかったので、ちょうどよかった。
だけど今日の午前中、先にやるべきことが2つある。

陽光中路

陽光中路。
敦煌賓館からすぐ近くのこの場所に漢唐大酒店がある。
2016年度版の歩き方によると、漢唐大酒店のそばに莫高窟参観予約センターがある。
だけど見つからず、道行く人に聞いたら、陽光中路を駅の方向へ2kmほど行った場所へ昨年移転されたという。

莫高窟参観予約センター

教えられた通り、2路のバスで市民病院前で下車し、着いた。
終点まで行って、1駅バックする。

一日6,000人の入場制限の情報があったが、外国語ガイド枠は別であろうと思っていたので、全く心配していなかった。
案の定、明日11:30の日本語ガイド付のチケットを無事に買えた(238元+外国語20元)。
中国語ガイド付もまだ余裕があるようだった。
中国で最も混み合う時期の一つ、5月小暇期の真ん中の日でも余裕で買えた。
一日6,000人枠があっても、外国語枠は心配無用と思われる(保証はしませんが)。
また外国語枠のチケットはネットで予約出来ない(当時)が、システムを改修中で、そのうち予約できるようになるとのこと。

予約センター中の壁に描かれていた絵画。

敦煌長距離バスセンター

そして再びバスで戻り、今度は敦煌長距離バスセンターへ。
ここで明後日のバスのチケットを購入した。
2番だったので、最前列だ。
1番で無かった理由はのちほど。

陽光中路

再び陽光中路へ。
なんかお洒落な広告、店が溢れている。
以前来た時には想像がつかない有り様だ。

お洒落なパン屋さん。

ハイグレードな商品が並んでいる。

エッグタルトも売られている。
敦煌でエッグタルトとは。。。

少し歩くと・・、なんと、あった!

小肥羊「敦煌店」!
ここにも小肥羊が進出していた!!だけど今回の夜ご飯は敦煌夜市で食べるので、ここで食べる機会は無さそう。一応、銀川で火鍋を食べたし。

そしてKFCまであった。
初めて敦煌に来た1996年当時では、全く考えられなかったことだ。
この時、11時過ぎで朝も食べていなかったので、ここでお昼を食べることにした。

レジ・・・だけど人がいない。
スマホ決済で、注文もスマホで行うシステムになっていた。
敦煌にKFCなんで想像すらしていなかったけど、すでに抜かれてしまった感がある。
スマホ決済が出来ない人(自分を含めて)は、わざわざ店員を呼んで注文することになる。

店内にあった写真。

こちらも店内にあった写真。

敦煌のKFCは他とはちょっと雰囲気が違う。

久々に中国で食べるKFC。
店員を呼んで注文していたのは自分だけで、ちっと恥ずかしかった。写真右下のものは日本のメニューにはなく、中国でしか見かけない「土豆泥」。

敦煌市街地。
敦煌市政府前の通りが陽光中路。
中央が鳴山路。
この2つが主な通り。

食後、陽光中路を散歩する。
新華書店。
中国の田舎に行くと、こうしてテーブルに平積みして本が売られているのをよく見る。
無駄にスペースを取っているだけの気がするが、国が広いのでどうって事無いのか?!

「敦煌老麺荘」

「敦煌老麺荘」の看板がある。
前回来た時はもちろん無かったが、そもそも敦煌で麺料理なんて発展していなかったはず。

店内の様子。
要はロバ肉の麺の店だった。
最近歩き方でよく目にするが、この麺は最近名物化されたものだと思う。
さっきKFCでお昼を食べてしまった。
この後、タイミングが合えば、こで食事をしてみよう。

店内の壁に描かれた絵画。

ここに敦煌のシンボルである反弾琵琶の像がある。
この像は初めて敦煌に来た時からずっとある。

陽関中路と沙州北(南)路が交差する場所。
今も昔も、一応この近辺は敦煌の繁華街といえる場所と思う。

地元デパートの中にメイソウがあった。

鳴山路に向け、陽光中路を更に進む。

さっきから少し気になっていたのだが、道を歩いていると、このように飛天ファッションの服装の女性をちょくちょく見かける。

また蘭州でも見かけたが、日本の小学生が被る帽子もいた。

鳴山路

鳴山路に着いた!非常に懐かしい!!
以前、この通りにはお手頃な安宿や飲食店が終結していて、1回目、2回目共にここに宿泊していた。
またこの路をひたすらまっすぐ5km程行くと、鳴沙山に辿り着く。

しかし、、、なんか以前と様子が違う。

「巴黎春天」ってプランタンのこと?

若者向けの「海瀾之家」がある。隣には雲店国際酒店。

「天潤国際大酒店。」
依然として鳴山路はホテルが多い。
陽関中路沿いのホテルよりグレードが落ちるものの、昔のような安宿街という感じでは無くなくなっている。。

「莫高賓館」
こちらは1996年にもあった。もっとボロかったが。

「敦煌飯店」
敦煌賓館と名前が似ているが、こちらはドミがあったりして、以前はバックパッカー御用達の定番宿であった。
ちなみに2回目は、ドミではないがここに3泊宿泊していた。

フロントの様子。
改装され、かなりキレイになり、以前とかなり雰囲気が違う。
誰でも気軽に入れる休憩所、情報交換の場所的な雰囲気では無くなってしまった。

高級ブティック店が並んでいる。
中国は変化が激しいのは分かっているけど、ここ西域の敦煌も例外ではなかった!
もはや昔の、青春の鳴山路の面影はない。
敦煌も時代の波に晒され、すっかり変わってしまった(涙!)

暫く周辺をぶらついてみた。

敦煌市街地内、ところどころ牛肉面店があった。

公共マナーを説明する看板。中国の地方都市ではしばしば見かける。

一旦ホテルに戻り、「敦煌夜市」のバス停へ。

3路のバスで「博物館」へ向かう。

敦煌博物館

「敦煌夜市」3路のバスに乗り15分くらいで到着した。
敦煌賓館からでも歩いて行こうと思えば行ける距離である。