青海省

ゴルムド/青蔵公路とフフシル チベット旅行記①

外国人のチベット入境に関して

2023年現時点で外国人がチベット自治区へ入るには、査証及び旅行社を通して入境許可証(バーミット)を取得する必要があり、更に自治区内の行動は旅行社手配のガイドの同行が必須となります。完全な個人旅行、フリーでの観光、行動は出来ません。

敦煌~ゴルムド(格尓木)

本編は敦煌から拉薩までバスで行った時のアナログ写真旅行記。
敦煌から拉薩までのバス料金は1300元、2泊3日で、格尓木の格尓木賓館のドミトリー部屋で1泊(別途25元徴収)、車中で1泊の移動であった。
1日目:敦煌8:00発→格尓木(格尓木賓館)20:23着。

敦煌を出て、3時間くらいの場所。

13時過ぎ、昼食休憩に立ち寄った場所で既に青海省へ入ったのは分かっていたが、このような殺風景な景色が続き、どこの辺を走っているのかがさっぱり分からない。

17:00頃、廃墟みたいな場所で休憩停車する。

写真を撮ってもらった。

敦煌→格尓木は約8時間と聞いていたが、9時間過ぎても一向に着く気配がない。写真のような変わり映えのしない大平原をひた走り、標識看板もほとんどなく、また当時はスマホもなく、今一体どこを走っているのかがさっぱり分からず、やや拷問に近い苦痛を感じた。
結局、バスが格尓木のホテルへ着いたのは20:23で、敦煌から12時間以上掛かった。

ゴルムド(格尓木)

格尓木賓館

格尓木で宿泊した格尓木賓館。上の写真は、購入した地図の写真から。ホテルに着くとドミトリーが割り当てられ、個室にする選択の余地はなかった。このホテルには中国旅行社CITSが入っていた。

中国における青海省と格尓木の位置。

青海省における格尓木の位置。格尓木へは蘭州から鉄路で来るのが当時一般的であった。格尓木そのものは小さい街で何の見所もないが、2005年に青蔵鉄道が開通する前は、陸路でチベットへ向かう中継地の役割を果たしていた。

市内の地図。

朝、少しホテル周辺を散策したが、何かがあるというわけでもなく、辺鄙な街の印象しかなかった。拉薩行きのバスが出るのは10時の予定であったので、身支度に時間を充て、遠くへは行かなかった。後で地図を見返すと、駅から近い場所に宿泊していることが分かった。

2日目、10時出発の予定であったので、9時半頃、フロントに行くと、「今日はバスの都合がつかず、運行しない」と言われる。敦煌から欧米人が10人ほど乗ってきていたが、彼らが猛抗議する。結局、寝台バスが来て、2時間遅れの正午に拉薩に向け出発した。

フフシル(可可西里)

青藏公路(格尓木~拉薩)

写真は格尓木を出発してから2時間後に休憩した場所。どこかは不明。そもそも地名があるのかも疑わしい。

当時はそんなことを思っていたが、ここ一帯は「フフシル(可可西里)」と呼ばれる地域で、自然美と生物多様性を理由に、なんと2017年に世界遺産に登録された。

子供がいたので、一緒に写真を撮ってみた。
写真は古いアナログ写真を少し加工したものだが、色合いが当時の実際の景色とほぼ近い。天気は曇り空であったが、とてもきれいな緑の草原が広がっていた。世界遺産に登録されてもおかしくない場所だ。

格尓木から乗ってきた寝台バス。
自分は下段左側の窓際で、2人座席を何とか1人で占領していた。ここまで体調は全く問題なかったが、ここを過ぎると標高が上がったせいか、急に頭痛と吐き気がして大変なことになった。チベット自治区に近づくにつれ、殺風景な砂漠の景色から、かなり奇麗な緑の景色へと変わっていくのを実感していたが、景色を楽しむ余裕なんて全くなかった。休憩で停車するたびに外に出て吐き出し、水を飲んでも吐いてしまい、何も受け付けられず、死にそうな思いをした。

唐古拉峠

ナメていたわけではないが、それまで高山病とは無縁の生活を過ごしていたので、どういうものか全く分かっていなかった。更に追い打ちをかけて辛かったのが、今、どの辺を走っているのか、あと何時間で拉薩へ着くのかがさっぱり分からないこと。眠ると楽になれるので、音楽を聴き、気を紛らわせながらなんとか眠るが、道も舗装された道でなくなり、揺れ、振動が激しく、すぐに目が覚めてしまう。苦しくて朦朧としていた時、ふと窓の外を見ると雪が積もっている景色が見えた。中国語に「落井下石」という言葉があるが、まさにそんな状態で、非常に心細くなり、絶望感が沸き起こった。
あとで分かったが、ここは標高5000mを越えている唐古拉峠であった。