北京
天安門東駅
地下鉄で故宮博物院へ行くには、地下鉄1号線「天安門東」下車一択である。案内の看板が多いので迷うことはない。
南池子大街
「天安門東」駅を出てすぐ「南池子」の門があり、南池子大街を北上する。
人の流れが出来ているので、迷うことはまず無い。
300mほど歩く。
途中、売店が多くある。ここで飲み物や日よけ用品など、故宮博物院見学に必要な物資を調達できる。
自分は他人に釣られてソフトクリームを買ってしまった。20元で安くはない。
東華門
紫禁城の東華門。現在はここか故宮博物院の入場口となっている。
「故宮博物院は当日のチケットを販売していない、見学は事前ネット予約が必要」とはっきり書かれている。
「東華門」から入場口の「午門」まで、更に15分ほど歩く。
午門
「午門」に到着。
ネット予約者は右側の列に並んで入場していく。
周辺の様子。
自分は微信で予約できず(当時)、E-mail予約をし、スマホに予約証明書を保存してあるので、あの赤いパラソルの場所で入場券を引き換え購入する。
4日前にここで並んだが、予約無しで購入できなかった。しかしここでE-mail予約の方法を教えてもらい、今回リベンジ入場する。
ここに並んでいるのは、9歳以下、または60歳以上の高齢者、身障者など無料で入場できる権利がある人達の家族で、微信予約だと決済しなければ完結しないので、無料券をもらうため代理で並んでいる人達だ。それと自分のようなE-mail予約した、数少ない外国人観光客。この時、本当に外国人観光客は少なかった。イタリア人らしき陽気な4人組西洋人と、柔道か何かの試合でついでに観光に来たらしい、体躯のゴツい中央アジア出身らしき集団しか見かけなかった。日本人観光客らしき人は自分だけ。
ここにも「故宮は当日券は売らない」と書かれている。古い歩き方等では当日券を売っている場所もあるとの記載があるが、2023年現時点では予約無しでは入れない。
スマホの予約確認メールを見せ、クレカ(Master)で入場料60元の支払いをする。今回は無事に入場のQRコードをGet出来た!
いよいよ入場する。
故宮博物院は2011年7月2日より「午門」が入場専用口となり、「神武門」が出口専用となり、2014年1月1日から毎週月曜は休館となる、との告知。
かなり人はいるけど、進み具合は早い。
空港の搭乗ゲートみたいにQPコードをかざすだけである。
入場成功!入って来た入場口を振り返る。
各国言語に対応した音声ガイドのレンタル案内。当日利用で80元と、入場料よりも高い。自分は借りなかった。
現在、中国各地の世界遺産や有名観光地でよく目にするが、コスプレーヤーが多い。
この日、気温が40℃超えていると思うが、それでも多く見かける。
午門を潜ると大和門が見えるが、先に手前の左右にある宮殿見学をする。
武英殿
まず初めに左側にある「武英殿」へ向かう。ちなみに前回来た時は修復中で入れなかった。
「武英殿」手前の武英門。
「武英殿」。1644年、明を滅ぼした李自成はここ「武英殿」で即位した。しかしそれからすぐに清・呉三桂連合軍に敗れ、即位から約40日後に北京から敗走した。
続いて右側の「文華殿」へ向かう。
文華殿
「文華殿」手前の文華門。
「文華門」。ここは門の中には入れたが、建物の中は入れなかった。明の時代は皇太子の居所として使われ、清の時代は科挙の答案の採点場所、四庫全書の保管場所として使われていた。
金水河(中央)と大和門(左)、武英殿(右)。
大和門
通常ルートに戻り、「大和門」へ行く。
この一帯は「外廷」と呼ばれる区域である。門の額縁には漢字の表記しかない。
大和殿
大和門を超えると大和殿と広場が一望できる。ここで皇帝即位の儀式が執り行われた。
大和門を振り返る。
大和殿へと登って行く。
中央は皇帝の通り道。皇帝は輿で担がれ、この上を通って行く。
本来、この荘厳な宮殿を目の当たりにして、大和殿へと突き進むところであるが、2週間前の北京大雨時、紫禁城の排水機能の性能が非常に高く、全く被害が無かったことが絶賛されていて、どうしてもその排水設備の構造が気になってしまう。
その時のニュースはこちら!
九龍吐水
「大和殿」を目の当たりにしながら「九龍吐水」と呼ばれる排水構造が気になってしまう。
設計のデザインだけではなく、その機能も凄かった!
白い石で出来た柵の下にほぼ等間隔で穴が開いている。
ここから水が排出される構造になり、水が溜まらず下へ流れる仕組みになっている。
そして龍の口から水が流れる。
更に下の段も同じ構造になっている。
そしてここから流れる。
大和殿
再び「大和殿」見学に戻る。
「大和殿」を見学する。
以前は柱の後ろの扉ギリギリのところまで行き、玉座を間近で眺めることが出来たが、今回は建物手前の階段下までしか見学できないようになっていた。
この距離からだと玉座はよく見えなかった。
この広場で皇帝即位の儀式が挙行された。
中和殿
続いて「大和殿」の後ろへ回り、「中和殿」を見学。
「大和殿」の後ろ側は日陰となっており、ここで多くの人が休んいた。
この時、お昼前であるが猛暑で汗だくとなっていて、自分も同じように座って15分位休んだ。
休憩後、「中和殿」の見学を開始する。
「中和殿」の玉座の様子。ここも今回は間近で見れないようになっていた。
柱に架かれた文字や額は定期的に変わっているような気がする。
「中和殿」は、「大和殿」で行われた儀式の際の休憩所的な役割として使われていた。
保和殿
「中和殿」の後ろにある「保和殿」。
「保和殿」の玉座。
ここ「保和殿」では科挙の最終試験である「殿試」が実施されていた。「大和殿」「中和殿」「保和殿」を「前三殿」、または「外朝三殿」という。
保和殿から中和殿、大和殿の方向を眺めた様子。
軍機処
「軍機処」。「保和殿」の後方の右側にある。1729年に清の雍正帝がジュンガル部平定のための軍事的な決定を迅速に行うのと、皇帝権力の独裁化を進めるため設立した。以降、清朝の最高軍事機構として機能する。
世界史選択者は年号共に暗記必須の項目事項である。
隆宗門
「軍機処」の右側に「隆宗門」と呼ばれる門がある。ここは故宮見学の中で必須の見学場所だ。
「軍機処」側から門を潜った場所に額縁がある。
「隆宗門」の額縁。この門には「矢」が刺さっている。この矢は1813年に起きた白連教徒(天理教)の反乱時に放たれたものという説と、1644年に李自成が北京敗走時に放ったものとの2つの説がある。
「宗」の文字の左隣に矢が刺さっている。諸説あるが、実際には当時のものでなく、話題作りのためのものだと思う。
箭亭
「隆宗門」の対極側には景遠門があったが、いまはちょっとした広場となっている。また有料エリアの「時計館」「珍宝館」の入口もここにある。写真は「箭亭」。満州皇族の子弟たちが民族の遺風を失わないよう、弓矢の練習場として設立された。「箭亭」の隣に故宮レストランがある。
故宮快餐(故宮レストラン)
故宮快餐は故宮博物館内にある唯一のレストラン。さっきから何回かこの前を通って、ここで食事をしようか迷っていたが、暑くて体力を消耗していたので、ここできちんと食事を採ることにした。
中の様子。
レジは無く、先に空いている座席を確保する。
座席ごとにQRコードがあり、スキャンするとメリューが表示され、微信か支付宝で決済する。ここでは現金は使えない。
中国へ来て麺ばかり食べ、米をまったく食べていなかったので、XO醤チャーハンを注文した。58元とやや高い。地方のローカル店に行けば、チャーハンなら今でも10元前後で食べれる。
正直あまり期待していなかったのだが、このチャーハン凄くウマい!チャーハンは日本の町中華のものの方が美味しいと思っていたが、これは全くの例外だ!他のメニューは牛肉麺や角煮定食など、種類はそれほど多くはないが、おそらくクオリティはどれも高いと思われる。感動した!
ヨーグルトやケーキなどのデザート類もある。
パンダのケーキが眠っていた。食べたかったが38元(約760円)とお高めだったので辞めておいた。
奉先殿(時計館エリア※有料区)
故宮レストランのある広場のエリアに、「時計館」と「珍宝館」という2つの有料エリアがある。どちらも入場料10元。微信決済が基本だが、窓口で現金払いも出来るので入ってみた。
昔からあるの知っていたが、前回来た時入ったか覚えていない。
清朝時代に外国から送られた西洋時計が展示されているが、強いて見所は無いような気がする。ただ冷房が効いているので、夏場は休息するにはよいかも。
九龍壁(珍宝館エリア※有料区)
続いて「珍宝館」エリアに入場。こちらも入場料10元が別途かかり、現金払いでもOKだ。こちらは「時計館」エリアと違い、見所が多く、入場する価値は非常に高い。
入ってすぐ九龍壁がある。
中国にはこれと同規模も九龍壁が3か所にある。一つ目がここ故宮博物館のものと、二つ目は故宮博物院の北西にある北海公園内のもの、三つ目は山西省大同市内にある。
名前の通り九つの龍が描かれている。大変見事に思えるが、残念ながら故宮のものが一番お粗末らしいのだが、比較したことないので自分には分からない。パッと見は荘厳で見事に思えた。
寧寿門(珍宝館エリア※有料区)
続いて九龍壁の対面にある寧寿門へ向かう。
「寧寿門」。「珍宝館」エリアの中は広く、更に奥へ進んで行く。
皇極殿(珍宝館エリア※有料区)
「寧寿門」を潜ると「皇極殿」がある。
「皇極殿」。
「皇極殿」の玉座。汚れたガラスの仕切りも無く、結構真近で見学できる。今回の故宮見学の中で、ここの玉座は最も完璧、荘厳で見応えがあった。
「皇極殿」は清朝康熙帝時代の1689年に建設され、当初は「寧寿宮」という名前であった。乾隆帝時代の1776年に「皇極殿」と改名された。乾隆帝が嘉慶帝に譲位した際、ここで「千叟宴」という大宴会が挙行され、1894年には西太后70歳の祝典もここで挙行された。また西太后が逝去した後、陵墓に埋葬されるまでここで安置された。
皇帝の書斎らしい部屋。
「皇極殿」の中には当時の珍尊品が保管され、正に「珍宝館」の役割を果たしている。但し紫禁城内の殆どの物品は、蒋介石が台湾へもっていってしまったので、北京には大したものはほぼ残っていない。
暢音閣と閲是楼(珍宝館エリア※有料区)
「暢音閣」。
ここは京劇用の舞台である。
乾隆帝時代の1776年に建設され、嘉慶帝時代の1817年に改修され、現在の姿となった。
三層のたてものとなっている。
対面にあるのが「閲是閣」。ここで暢音閣での京劇の舞台を観劇する。
養性門と養性殿(珍宝館エリア※有料区)
「養性門」。
「養性殿」。1776年乾隆帝が居住する場所として建てられたが、結局ここに住むことはなかった。
ガラスの扉があり、閉められている。
ガラス越しに撮影した中の様子。
楽寿堂(珍宝館エリア※有料区)
「楽寿堂」。1772年建設され、乾隆帝退位後の寝宮となっていた。
中の様子。
頤和軒(珍宝館エリア※有料区)
「頤和軒」。1776年に乾隆帝の休憩場所として建設された。
建物の前には日時計がある。
中庭の様子。
乾隆帝直筆の「開惑論」。
乾隆帝直筆の「西師詩」。
珍妃井(珍宝館エリア※有料区)
続いて「珍妃井」。「珍宝館」エリアで最も北側にあり、故宮博物館全体の中でも最北端にある観光名所である。
珍妃とは光緒帝が寵愛していた皇貴妃で、多術多才な満州貴族の別嬪であった。
一方、口達者な一面もあり、西太后からは嫌われていた。1900年八カ国連合軍が北京を占領した混乱の中、西太后の命令でこの井戸に投げ込まれ、殺害された。
中を覗いてみた。とても狭く、人が入るスペースは無いように思える。
この井戸、当時のものとかは分からないが、悲しい悲劇が起きた現場である。
東筒子
珍妃井の北側にある珍宝館有料エリア出口を出て、東筒子を南下し、内廷の正門入口である「乾清門」まで戻る。
「乾清門」は外朝エリアである「保和殿」のすぐ後ろにある。
この東筒子は300m近くあり、現在自転車の通行は禁止である。
乾清門
「乾清門」。
ここからは内廷区域となり、内廷への正門の役割も果たしている。そのため門も大きい。
大きな門を潜ると「乾清宮」が見えた。
乾清宮
「乾清宮」。この後ろにある「交泰殿」、「坤寧殿」と共に「内廷三宮」と呼ばれている。「内廷」とは皇帝をはじめとする皇族のプライベートエリアである。
明朝永楽帝時代の1420年創建。永楽帝から清の康熙帝まで、皇帝はここで居住していた。
乾清宮の玉座。「正大光明」の額は不正撲滅のため康熙帝が書いたもので、これは昔から変わっていない。
また康熙帝は皇太子を立てたが奇行が目立ち、最終的に廃位して皇太子を立てず、この額縁の後ろに皇位継承者を書いた紙を隠し、崩御するまで後継者を明かさなかった。康熙帝崩御後、大臣がこれを開封し、康熙帝第四皇子の雍正帝が即位した。これを「太子密建」といい、後に乾隆帝、道光帝、咸豊帝へと継承した。
交泰殿
乾清宮の後ろにある「交泰殿」。
内廷にある宮殿の額縁には、漢字と満州文字が併記されている。
「交泰殿」の玉座。その上の「無為」の字は康熙帝の御筆によるもの。
天井は「藻井」と呼ばれる細かい色彩が施された格子天井となっている。
「交泰殿」は明の嘉靖帝時代1535年に建設され、清の嘉慶帝時代に火災に遭い、1979年に再建された。
坤寧門
交泰殿の後ろへ回り、「坤寧宮」へ向かう。
「坤寧宮」。
「坤寧宮」は明の永楽帝時代の1420年に建設され、清の順治帝時代の1655年に、清の入関前の首都であった盛京にある「清寧宮」(今の瀋陽故宮内)を模して改築された。
御花園
故宮博物館見学の終盤、出口の「神武門」手前にある御花園。
中国各地から運ばれてきた、珍しい石が数々置かれている。
紫禁城北端の城壁の内側の様子。
ここでもきちんとした排水設備が整っている。
神武門
御花園を見学しているとちょうど閉館の17時になり、追い出されるように外へ出た。
城外を出たところの様子。
潜り出てきた門を振り返る。
「神武門」。
「神武門」を出ると、すぐ目の前に景山公園がある。
今回、10:30頃入場したので、6時間半ほど見学していた。