西安
西安駅前
朝、西安駅前のバス停から307路のバスに乗車し、兵馬俑始皇帝陵墓を見学。正午過ぎに西安駅へ戻り、駅前にあるKFCで昼食を食べる(写真は前日夕方撮影したもの)。
曲江
昼食後、西安駅前から市バスに乗り、曲江という場所にやって来た。
バス停の名前は「曲江池」という名前になってる。もともとこの一帯は池であったのかも知れない。
周辺は新興住宅街と化している。
曲江秦二世陵遺跡公園
曲江へやって来たのは、秦二世皇帝陵があるためである。
場所的には西安駅から市バスで40分ほど。大雁塔のやや右下の位置にある。
2023年12月時点では地下鉄4号線が開通しており、「曲江池西」駅下車徒歩数分の場所にある。
秦二世皇帝は、名前の通り、始皇帝崩御後に皇帝に即位した秦王朝二代目皇帝で、始皇帝の末子の胡亥である。
同日に親子2代の陵墓へ来たのは初めてである。
規模は小さいが、こちらもかなり近代的に整備されている。
秦二世皇帝陵墓遺跡の全景図。
入口。入場料は20元だった。
秦の起源が紹介されていた。
中国にあった一王国である秦は、次々と周辺六か国を滅ぼし、統一王朝を樹立した。この辺は高校の漢文で出てくる。
胡亥は前209年に咸陽で即位する。
始皇帝死後、趙高という宦官が権力を握り、二世皇帝は傀儡状態になる。その趙高から馬を献上すると言われ、鹿を渡さる。
鹿ではないか!というと、趙高から「これは馬です」と言われ、強制的に鹿を馬と認めさせられる。
皇帝権力が失墜した故事であるが、その後日本に伝わり、「バカ」の語源となった。
始皇帝死後、胡亥は二世皇帝として即位したが、間もなく陳勝・呉広の乱の農民反乱が勃発して国内が乱れ、そして宦官の趙高により自殺させられた。
胡亥の死後、子嬰が帝位につくが、時世を鑑みた子嬰は皇帝ではなく、秦王として即位する、しかし翌年関中に攻めてきた劉邦に降伏し、項羽により一族郎党処刑され、秦王朝は滅亡した。
こちらは秦とは関係ないが、前漢時代の陵墓内に描かれた壁画である。
西安理工大学の敷地内から出てきたものらしい。
秦王政が即位して始皇帝と称し、二世皇帝、三世皇帝、四世皇帝・・と名称を継続させる予定であったが、秦は事実上、二世で滅んでしまった。
秦二世皇帝陵墓
博物館から出ると、円墳の陵墓があった。
始皇帝と同じ秦王朝の皇帝であるが、始皇帝陵とは規模が違い過ぎる。
二世皇帝の名は胡亥である。姓は嬴、「嬴」という感じは難しい。普段から練習しないと普通は書けないと思う。※嬴(Ying4声)
始皇帝陵はカートで1周15分ほどかかる広さである、子の二世皇帝陵は徒歩1分で一周できた。
マンホールに「秦」と書かれている。
秦の旗、翻る。
始皇帝陵墓と比較すると規模は小さいが、ゆっくり、じっくり見学したので1時間程滞在していた。世界遺産の始皇帝陵しか注目されないが、意外に博物館の内容は充実していて、見応えがある。世界史、中国史が好きな方は十分楽しめると思う。
この近くにもう一か所、皇帝の陵墓があるのでついでに行ってみる。バスがなさそうなのでタクシーを拾った。