鄭州
鄭州駅

鄭州宿泊中、河南省安陽市へ日帰り旅行するため、朝6:40に鄭州駅へ。鄭州駅東口に隣接しているホテルに宿泊していたので、朝早いけど移動が超楽である。

鄭州駅構内の2階、両脇に売店と待合室がある。

改札の様子。今はもう自動改札となり、紙の切符もない。パスポート番号で紐付けられているので、パスポートをスキャンして入場する。切符は12306.comで予約、クレカ決済。G96北京西行きの始発に乗車。

朝7:00前の鄭州駅ホーム。

夜明け前で、まだ日は昇っていない。

ちなみに鄭州の高鉄ターミナル駅は、鄭州駅ではなく、鄭州東駅であるが、朝数本だけ鄭州駅始発や経由の列車がある。自分は鄭州駅東口隣のホテルへ宿泊しており、鄭州東駅まで行くのに1時間近くかかるので、鄭州駅始発は非常に有難い。

乗車する新幹線がやって来た!朝早く、外は寒いので早く乗車したい。

夜明け前の7:05、定刻通り鄭州駅を出発した。

乗車後、20分くらいして朝日が昇り始めた。河南省の大地を走っている。
安陽
安陽東駅

8:21 安陽東駅へ到着した。

ここで下車する人はパラパラといた。ここまま乗車していれば10時前に北京西駅へ到着する。

安陽東駅前の様子。地方の高鉄駅あるあるであるが、だだっ広くほぼ人がいない。ここから殷墟遺跡まで直通の路線バスが出ているわけでもなく、時間節約のため、タクシーで殷墟へ向かう。

殷墟手前の道路標識。殷墟から3㎞はなれば場所に「袁林」がある。「袁林」とは、中華民国初代大総統の袁世凱の陵墓である。ここへは後で行く。

タクシーは敷地手前までしか入れないので、ここで下車する。安陽東駅から30分近くかかった。料金は32元で支付宝で支払った。
殷墟(殷墟宮殿宗廟遺跡)

ここが殷墟である!

ここへ来る前、いろんな方のブログなどを見て調べていたが、いざ来てみると感動する。

殷王朝後期の宮殿遺跡で、ここで漢字の起源となった甲骨文字が発見された。2006年に世界遺産登録。

小屯村のこの場所は、正式には「殷墟宮殿宗廟遺跡」という。細かいことを言うと、安陽の殷墟は主に3つのエリアに分かれている。殷墟の代表的な遺跡は、こちらの「殷墟宮殿宗廟遺跡」となる。

旅行サービスセンター

殷墟の旅行サービスセンター。ここで入場券を購入する。もちろんWeChatで事前購入もできる。

チケットは、この後行く殷墟王陵遺跡とのセット券で90元であるが、今回半額の45元で購入できた。期間限定の旅行推進キャンペーンをやっており、国家公務員、教員、軍人など公的機関で働く人は半額で、おまけに「外国人」も対象に含まれるとのこと。係員がわざわざ教えてくれ、半額で購入できた。

入場したのはちょうど9:00であった。

入場するとすぐに「甲骨文字発見地」の石碑があった。甲骨文字は清朝末期の1899年に発見され、それが漢字の起源であると認識された。

ここは宮殿跡地。殷王朝は中国では「商」と呼ばれている。

殷は紀元前1600頃、今の鄭州で興り、その後5回遷都し、最後の都はここ安陽で終焉した。

甲骨文字は、殷の宮殿を発掘している際、亀の甲羅が出てきて、その上に絵文字らしき文字が刻まれているのが発見された。

甲骨文字の石碑。



殷墟車馬坑展庁


車轍の発掘物。

2000年に発掘されたらしく、比較的新しい。




甲十二基跡


ここに宮殿があったらしい。
甲骨穴倉展庁


最大規模の甲骨が出土した現場。

17000点もの文字が刻まれた甲骨が発見されたが、全て蒋介石により台湾へ持って行かれてしまった。現物は台湾言語歴史博物館にある。

一部の残された亀の甲羅が展示されていた。このような感じで文字が刻まれている。


「甲骨文写意書法展」とある。

甲骨文字と現在の漢字の対比の説明図だ。漢字は5万近くあるので、説明も永遠に続く。多すぎて全部見切れない!

一部をご紹介。

姓を示す対比表。
婦好墓

こちらは婦好墓。婦好とは殷王朝第23代武丁の妃である。

婦好の陵墓は1976年に発掘されたが、この陵墓は盗掘された形跡がない、完全な状態で発掘された。

地下の展示遺跡へ入ってみる。


写真左が地下遺跡の出入り口。


乙二十彷殿大殿


1時間20分ほど殷墟を見学した。


これから5㎞ほど離れた場所にある殷墟王陵行きのカートが10:30発に出るので、それに乗って殷墟王陵へ行く。

最後に殷墟の石碑を再度撮影。

朝9:00から見学し、見学時間やカートの時間のタイミングがちょうどよかった。

この石碑を見ると離れがたく感じる。この時の外の気温は-1℃であった。

約1時間半の滞在であったが、非常に満足できた。この後、石碑後ろのカートに乗り、殷墟王陵へ向かった。