安陽
袁林


ここは中華民国初代大総統であった袁世凱の墓所である。
孫文と袁世凱は同じ時代に活躍した歴史上の人物で、清朝を倒して中国の封建制を終焉させた共通点がある。「陵」という漢字は、王または皇帝、皇后など帝位についた人物と配偶者が埋葬されている墓所を意味する。袁世凱は、最終的には取り消したが、一時的に中華帝国皇帝の地位に就いていた。一方、孫文は帝位に就いたことがない。しかしながら孫文の墓所は「中山陵」と呼ばれ、袁世凱の墓所は「袁林」との名称となっている。孫文の墓所が「中山陵」と名付けられたのは異例中の異例で、「陵」に値する功績を残したとみなされているからであり、袁世凱は一時的に帝位に就いたにせよ、最終的には皇帝ではなかったため、墓所に「陵」を付けることは許されなかった。その代わり「陵」の次に格のある「林」が付けられた。「林」が付く墓所には、関羽の「関林」、孔子の「孔林」などがある。

なんと場所は殷墟がある河南省安陽市小屯村から3㎞程の場所にある。

歩いても行けるほど近い場所にある。何故、袁世凱の墓所が殷墟の近くにあるのか?文明発祥の地の近くを狙って、わざわざ造営されたのか?袁世凱が逝去したのは1916年8月で墓所が完成したのが1918年。殷墟が発見されたのは1928年。墓所建設の方が先である。結論を言うと、たまたま袁世凱の墓所の近くで殷墟が見つかったことになる。

中学歴史の教科書から登場する世界史に残る人物であるが、中国国内での評価は極めて低い。日本においても良い印象を持たれない人物だ。

中国4千年、始皇帝から数えても2千数百年の封建制度が終焉した直後の中国のTopであり、肩書も非常に多い。清朝末期の軍人で、主な役職としては軍機大臣、第2代内閣総理大臣、中華民国第2代臨時大総統、中華民国初代大総統、中華帝国洪憲帝。

河南省の名家出身であるが、科挙に受からず軍人となり、李鴻章の臣下で着々と力を付けていく。一時失脚もしたが、辛亥革命が起こると孫文と密約を交わし、中華民国臨時大総統の地位を譲り受ける。最後は帝政を敷き皇帝へ即位するが、内外からの反発を受け撤回し、失意の中で間もなく逝去した。

墓所は南北に細長くなっており、真ん中あたりに南門があって、そこに入場券が売られている。タクシーの運転手はわざわざそこまで送ってくれた。

入場券大人35元、結構高い。

早速中へ入る。
石像生

この陵墓は明清皇帝陵墓を模した造りと、西洋式の墓塚が組み合わさった中洋折衷(中西合壁)構造となっている。

石造の形態などは明清時代のものと似ていて異なるものであるらしい。

しかし違いがよく分からない。
碑亭

碑亭。

碑には「大総統袁公世凱之の墓」と刻まれ、高さ5.5mある。北洋軍閥大総統・徐世昌の筆によるもの。
三進門

三進門。中へと進んでいく。


門が3つあるので「三進門」と呼ばれる。常時、3つの門はみな開けてあったらしいが、来た時は中央の門だけ開いていた。

見た感じボロい。

まともに修繕されていないようだ。

更に中へと進んでいく。
風磨銅鼎炉

鼎が置かれている。昨日の河南省博物院を見学し、中国歴代王朝にとって鼎は権力の象徴であることが身に染みてよく分かった。
景仁堂

景仁堂。


ここは袁世凱を祭る場所で、北洋軍閥が支配してた間、毎年ここで祭典が開かれていた。
墓台大鉄門

景仁堂の後ろに袁世凱の墓塚がある。

景仁堂までは明清陵墓を受け継いだ様式となっていたが、ここからは一気に西洋風格になる。アメリカ第18代大統領グラントの墓所を模したらしく、陵墓建設にあたってはアメリカから資金援助も受けてた。
青白石五供卓

墓塚の前には「青白石五供卓」という、5台の石が積まれた仏壇がある。

中央に香炉、その両隣の一対は蝋燭台、両端一対は花瓶。この仏具は明の永楽帝陵墓長陵から始まった。

墓塚


墓塚の円形は20mで、高さは8.72mある。

墓塚周囲には12匹の獅子が置かれている。

「中華民国五年八月輿修越二年六月望告成」と描かれている。「中華民国五(1916)年8月に着工、二年後の1918年6月の旧暦の15日に完成を告げる」の意味。

中国の著名な歴代皇帝陵墓と比較するとかなり小さいと思う。だけど秦二世皇帝陵墓よりは若干大きい。

一周してみる。

1周とは言わず、ぐるぐると何周かしてみた。

墓塚の後ろの方へも行ってみた。




自分以外、観光客はおらず30分ほど見学した。
三進門

墓塚方面からみた「三進門」。

「袁林」の説明書きがあった。

「三進門」を潜り、正面から見た様子。

参道を歩いて出口へ向かう。

牌坊

牌坊。これは明清皇帝陵墓でも見かけ、南京の中山陵にもある。

出口をでて、少し離れた場所から牌坊を眺めてみた。

参道を歩いて行く。


後ろを振り返ってみた。

参道の終点付近に大きな壁があった。ここが「袁林」の正式な入口であるようだ。この後、タクシーで「中国文字博物館」へ行く。道路沿いで10分程待っていて流しのタクシーを捕まえた。安陽は中堅都市であるせいか、昔ながらにタクシーが走っていた。
