昨晩、延安から西安入りした。西安は4度目で、今回は今まで行けていなかった西線ルートを最優先に行くことにする。朝5:00に起床し、6時に西安駅前のバス乗り場から游1のバスを確保する。游1のバスは4台あり、先着順に乗車、6:30には全て満席となった。
咸陽市乾県
乾陵博物館
西安からバスで約2時間、先ず乾陵博物館へ来た。ここは唐の時代の則天武后の子、孫たちが則天武后に殺され、その墓と埋葬品、壁画の展示がある。代表的なのが永泰公主墓である。
永泰公主墓は乾陵博物館の中にある。同じ敷地内にテーマパークのような則天武后の墓のレプリカがあったので入ってみた。
こんな感じで見る価値はないかも。
則天武后は唐3代皇帝高宗の皇后であったが、高宗が崩御し、子の中宗が4代皇帝に即位したが、僅か55日で廃位し、高宗の末の子である李旦(睿宗)を5代皇帝に擁立したが、またもこれを廃位し、690年に自ら武周を建国し、皇帝に即位する。中国史上、唯一の女帝である。これにより唐は一時中断する。
則天武后は晩年の82歳に病床に防ぎがちになり、この隙に中宗がクーデターを断行、705年に退位し、間もなく没した。そして中宗が復位して唐王朝が復活する。
永泰公主墓
永泰公主は唐王朝第3代皇帝 高宗と則天武后の孫娘で、第4代皇帝 中宗の7女である。17歳の時に、祖母の則天武后に反し、701年に夫と共に殺されてしまった。その後、中宗が復位(705年)し、名誉回復された。
永泰公主墓は中華人民共和国建国後の1960~1962年の間に発掘された。
ここから地下宮へ入っていくが、この通路の両側には見事な壁画が残っている。それらがこちら↓
盗掘された痕跡があったが、この永泰公主墓からは壁画の他、さまざまな副葬品が発見された。