伊寧
全季酒店/馬三元牛肉拉麺

伊寧市上海城にある全季酒店上海城店。北京時間朝7:30頃起床したが、ウイグル時間では5:30だ。

ホテルは朝食付きではないので、朝食を食べに同じ建物にある「馬三元牛肉麺」へ行く。


朝から飽きずに牛肉麺。ウルムチの同じ店では9元であったが、ここの店舗の牛肉麺は10元であった。

カロリー感がなく、朝からでも十分食べられる。さっぱりしていて、とても美味しい。
伊寧上海城明珠路

食後、部屋で少し休み、9:30頃、市内探索へ出かける。ホテル前の通りは「明珠路」。

北京時間9:30でも新彊時間では7:30。街の様子、雰囲気は7:30である。

「上海城」という地名だけあって、上海にある地名を名づけた通り、地名が多々見られる。「上海城」とはマンションが集結している居住地の地区に付けられた地名である。

この辺は「徐匯苑」。

「黄浦苑」。

「上海城」南門へ着いた。南門前が解放西路で、上海城のバス停がこの門の前にある。ちなみにホテルがある場所が一体は「北門」と呼ばれているが、このような「門」はない。
林則徐記念館前

12路のバスに乗り「上海城」から8駅で「林則徐記念館前」に到着。

バス停付近の様子。緑が多く、気持ちいい。

しかしながら記念館の場所が分かりにくく、少し迷う。
林則徐記念館

「林則徐記念館」到着。入口付近は、一見すると記念館と分からない雰囲気だ。

バス停の名前は「林則徐記念館」であるが、バス停の目の前にあるわけではなかった。

身分証明書の提示で入場無料。ボディチェック、荷物検査あり。

入口には林則徐の像がある。


当時着用していた衣装。模倣品で本物ではない。

年代ごとに示された、イギリスから中国へのアヘン密輸数量のグラフ。


広東省虎門で廃棄されたアヘンの統計数量。

アヘン戦争時期の広州付近の形勢。

イギリスによる香港統治の勢力図。

ロンドンの東インド会社の写真。写真下には、当時のイギリスアジア侵略の大本営と書かれてある。

アヘン中毒者の様子。

アヘン中毒で廃人となった人。

林則徐はアヘン戦争前の清王朝の欽差大臣で、1839年にイギリス商人が所有していたアヘンを没収し、廃棄したことでアヘン戦争を引き起こし、その責任を取られされ、ここ新疆の伊寧へ左遷された。しかしここで治水と農地改革を行い、住民から慕われていた。のちに太平天国の乱が勃発し、林則徐は再び復職している。

伊犁河沿いで写真に写る林則徐の子孫たち。一部の子孫たちは新彊に残されていたらしい。

勤勉に励む林則徐。

農地改革に動員される住民。

林則徐の銅像。

民族の英雄、林則徐。

林則徐記念館の周囲には、近代的なマンションが聳えている。


1時間ほどで見学を終えた。

「林則徐記念館」近くのバス停から17路のバスで、少数民族居住区がある「喀賛其民族旅游区」へ行く。
ここへは「伊寧市人民医院」のバス停で下車、17路のバス1本で行ける。

バス停の名前全てにウイグル語が併記されている、なんか凄い!

「林則徐記念館」の前の通りは、林則徐の出身地を冠した「福州路」である。

11時前、バスに乗車し少数民族居住区がある「喀賛其民族旅游区」へ向かった。