福建省

永定/福建土楼③ 土楼王子景区(福建土楼客家民族文化村)後編

永定

土楼王子景区(福建客家民族文化村)

福裕楼から細い小道を通り、次に見えてきた土楼へやって来た。

荘厳な門構えである。門の中に2つの土楼がある。

光裕村 <土楼No.13>

光裕楼。

中へ入ってみる。

長方形の土楼で、清朝乾隆帝時代の1775年に建設された。

ここにも八か条の村民規約が掲げられていた。

村民規約の他、「してはいけないこと」、「しなければいけないこと」がそれぞれ十か条掲げられていた。

中へ入ってすぐ正面に廟の入り口があった。

廟の方へ行ってみる。

廟の様子。つい先程まで誰かがここでお茶していたのか、机の上が散らかっていた。

この土楼も今なお現役で、人が居住している。

大きさとしては中堅クラスの土楼で、一周してみる。

1階の厨房。

出入口に椅子があったので、ここで少し休憩した。

慶福楼 <土楼No.14>

光裕楼となりの慶福楼へやって来た。この土楼も方形土楼である。

この土楼は清朝乾隆帝時代の1780年に建設された。光裕楼より5年若い。

中の様子。

普通に人々が生活している。

奎聚楼 <土楼No.15>

奎聚楼。この土楼は清朝道光帝時代の1834年に林一族の林奎陽によって完成された。

この土楼は通常の円形土楼、方形土楼とは異なり、前方は低く、後方が高くなる「宮殿式土楼」と呼ばれる形状をしている。しかし前方の低くなっている部分が増設され、改修されているようだ。また壁が白く塗られており、過去の「奎聚楼」の写真とは様子が異なっている。

中へ入ってみる。

中は何となく賑やかで、お洒落な感じがある。

装飾も立派で、きちんと手入れが施されている。

廟の様子。

図の中で★がついている場所が現在地である。

奎聚楼の庭から眺めた光裕楼と慶福楼。

土楼王子景区の北部エリアの土楼は見尽くしたので、宿がある中央エリア方面へ向かう。

朝陽楼 <土楼No.16>

朝陽楼。今回宿泊する陽臨楼の隣にある円楼だ。この土楼は明の嘉靖帝時代1522~1566年頃の間に建てられた土楼らしいが、文献不足で詳細があまり分かっていない。

中へ入ってみる。

この土楼の半分以上は宿泊施設に改修されている。

土楼の半分は住民の居住区となってる。

家庭料理レベルのレストラン(私家菜)も併設されている。この土楼、夜は結構に賑やかであった。

陽臨楼

そして今回、自分が宿泊する陽臨楼へ戻って来た。1階の居室でお茶をもらって休憩し、老板娘に夕飯と、明日の移動の手配をお願いした。明日は田螺坑土楼群へ行きたいと説明し、老板娘の親戚が電気自動車で連れて行ってくれることになった(料金は100元)。

景陽楼 <土楼No.17>

陽臨楼のすぐ隣にある。

中の様子。

この土楼も現役で人が居住しているが、空き部屋が多い感じで、少し廃墟感が漂っていた。

これまで土楼とみてきた感想としては、人が多く住んでいる土楼には活気があり、人が居住する力は凄いと感じた。

人が住まない空き部屋は、改修するなどして宿泊施設にしていった方が、土楼の寿命も延びていく。逆にそうしないと土楼の寿命が短くなっていく気がした。そこで昔ながらの土楼に手を加えるかの葛藤が生じてくる。

廟の様子。

川から眺めた朝陽楼。川を渡り、対岸へ行く。

中柱楼 <土楼No.18>

景陽楼の対岸にある中柱楼。

中は改修中であった。

土楼の裏側。このような配線があり、土楼の中も電気が通って、Wifiも繋がる。

中柱楼から眺めた景陽楼。

樹齢1000年を超えるガジュマルの樹。

瑞譪楼 <土楼No.19>

瑞譪楼(ずいけいろう)。清朝乾隆帝時代の1736~1795年の間に建てられた方形土楼。ここは個人邸宅みたいな規模で小さく、実際に個人宅のようであったので、中へは入らず、外から眺めるだけにした。

集源楼 <土楼No.20>

集源楼。いつ建設されたかは不詳であるが、周囲の土楼と同じく、清朝の乾隆~道光年間に建設された可能性が高い。

集源楼の中の様子。中央に廟があり、小規模ながらも普通の土楼として住民が居住していた。

振成楼(土楼王子) <土楼No.21>

振成楼。通称「土楼王子」とも呼ばれ、永定区の代表的な土楼の一つである。またここ「福建土楼客家民族文化村」も、地元では「土楼王子景区」の名前が一般的に浸透してきている。

この土楼の歴史は、土楼の中では比較的新しく、民国元年の1912年に完成した。

また振成楼へ入るには景区の入場券のチェックがあり、基本的に一人1回しか入場できない。但しこのチェックは9~17時の間に実施されているようで、この時間外は他の土楼同様に自由に出入りできる。

振成楼を建設した林氏一族の写真。文献などにより建設者の名前が複数見られるが、写真の2名が大きく関与していたと思われる。

この土楼は円形土楼であるが、「外環」の中に「内環」がある二重同心円構造となっている。

振成楼の中の様子。内環部分に入口の様子。

内環からみた周囲の様子。

廟の中の様子。

中にある売店で文化大革命時代の新聞が飾られていた。毛沢東が振成楼見学に来た訳ではなく、土楼とは関係無い記事だ。

一方、別の場所に展示されていた写真。今の主席は若かりし頃、土楼見学に来たようだ。満面の笑みを浮かべている。

内環部分を出て、外環部分を見学する。

現在、振成楼には居住者はいない。管理者はいるらしい。また一部を宿泊用に開放しているらしいが、外国人が宿泊できるかは不明。

外環部周辺を何周か歩いてみた。

お金を払ってでも上に登って見たかったが、建築物保護を名目に、不可であった。

見た感じ、かなり綺麗に改修されていると思う。

20分程見学していた。この後、夜またここへ来た。

慶成楼 <土楼No.22>

慶成楼。この土楼に関する文献資料は少なく、情報がいくつか混在しているが、清朝康煕年間に建てられたらしい。また方形土楼であるが、宮殿風の五鳳楼様式となっている。

土楼の中は全面改修されており、かなり綺麗な状態となっている。

1階と2階は展示室となっている。

嬉しいことに、上の階へは無料開放していたので、2階へ登ってみた。

2階からの景色。

更に上り、3階からの景色。

最上階の4階へ上って来た。

土楼室内の多くは、このような展示室となっていた。展示のテーマは不明。

玉成楼 <土楼No.23>

玉成楼。清朝末期~民国初期に建設されたらしいが、資料が少なく詳細は不明。門の隣に「客桟飯店」と書かれているように、中には宿泊施設があるようだ。ちなみに中国本土で「飯店」はホテルを意味する。中国本土外ではレストランを意味する場合もある。歴史ドラマなどを見ればわかるが、以前は宿泊施設と食事ができる施設は兼務していたことが由来している。

宿泊施設以外にも「客家酒文化館」があるらしい。

玉成楼の中の様子。「客家酒文化館」の看板があったが、規模は小さく、17時を過ぎていたので閉館していた。

慶雲楼 <土楼No.24>

玉成楼の近くにある慶雲楼。こちらも資料が少なく詳細不明であるが、玉成楼と同じく、清末~民国初期にかけて建てられた可能性が高い。

慶雲楼の前にあった看板。超意訳すると「私は土楼にいて、あなたのこと思っている暇ないわ!」→「私は土楼にもう夢中!」ってな感じか。

慶成楼の中の様子。一階部分は何か荒廃した感じで混沌としていた。

多数のコケッコーがいた。

あちこち行かないよう網が張られている。どれもプリプリと太っていて健康そう。

出入口で手製たばこが売られていた。

手でたばこを作くっているの初めて見たので、暫くずっと見ていたら、「1本吸ってみるか?」と勧められた。残念ながら自分はたばこを吸わないので、丁重にお断りをした。大学生の頃、吸っていた時期があり、その当時であれば喜んで1本貰っていたと思う。いや、カートン単位で買っていた。このたばこは一箱いくらするのか聞かなかったが、中国はたばこ税が安い。

この地域、福建省のお茶の他、たばこ産業も盛んである。振成楼を建設した林氏一族もたばこ産業で財を成している。

環興楼 <土楼No.25>

環興楼。清朝道光帝時代に建設されたがらしいが、文献不足で詳細は不明。実はこの環興楼は土楼王子景区外にある。景区に隣接していて景区内にあるように見えるが、景区案内図には記載されていない。不思議に思って近くへ行ってみて、初めて景区外にあることが分かった。見学のため、人目につかない間に柵を飛び越え、景区外へ出た。

環興楼の中の様子。土楼の中は完全に劇場と化し、改修されていた。

廟がある位置は舞台となっていた。「天涯明月刀」と書かれた額が掲げられているが、これはここで行われるショーのタイトルである。18:00からショーの客が入場しはじめて来て、自分は客ではないので急いで外へ出た。準備中の中、自分は勝手に入ってしまったが、本来入ってはいけなかったようだ。

「天涯明月刀」は中国の武侠小説(剣術と侠義の世界)をテーマに、光と影の演出、アクション芝居、伝統音楽を組み合わせた約30分のショーである。土楼の円形構造や中庭を舞台に、観客も「武侠世界の住人」として物語に参加する形態のショーであるらしい。夜は土楼の夜景を満喫したかったので、ショーは見なかった。

外から見た環興楼。この土楼は振成楼並みの規模があり大きい。部分的に崩壊しているが、中は完全に劇場化されている。この後、住民用の電動自動車の入り口から景区内に戻ろうとしたら警備員に断られた。「再入場は正門へ行け」と、800m離れた正門へ行く羽目になった。

土楼王子景区正門

そのような訳で、再び正門へ戻り、再入場した。往復で1.6㎞歩き、無駄な体力と時間を費やしてしまった。

入口から環興楼のある付近まで、カートが走っているのだが、すでに18時過ぎで運行していなかった。入口から自分の宿がある陽臨楼までは約2.5㎞ある。

昇恒楼 <土楼No.26>

宿へ戻る途中、1棟まだ見ていない土楼を発見した。

昇恒楼。文献不足で詳細不明らしいが、振成楼より若干古く、清の光緒帝時代に建設されたらしい。土楼の入り口にはガラスのオートロック式ドアがあり、中を眺めていたら、人が出てきた。中は完全な宿泊施設となっており、「宿泊者以外見学はできない」と言われた。

門の隣に「読旅」との看板がある。後で調べたら、かなり高級な部類の土楼民宿であることが分かった。中へは入れなかったものの、約半日かけ、これで土楼王子景区内の全ての土楼を見て回り、見学したと思う。