河北省

遵化/清東陵 北京訪問記①

遵化

清東陵

朝6:00に北京王府井にある宿泊していたホテル(台湾飯店)を出て、河北省遵化にある清東陵に来た。地球の歩き方に載っていた「北京散歩」という旅行社でTaxiをチャーターした。8時間で400元。真冬の年末で、またこの時、時間的な制約もあり、ややお高めだったがそうした。北京市内から東清陵へは直通の公共機関がなく、公共バスをいくつか乗り継いでくるしかない。外はとてつもなく寒く、暖房の効いた車は快適で、正解だった。

孝陵(順治帝陵墓)

外はおそらく-10℃くらいで、もろに大陸性の凍てつく寒さだ。到着したのは8時過ぎで、入場門には誰もおらず、当然の如く観光客もいなかった。寒くて歩いて観光する状況でなく、陵墓内、車で入って移動する。

先ずは孝陵。
清朝第3代皇帝である順治帝の陵墓を見学。

順治帝は盛京(現:瀋陽)で6歳で即位し、24歳の若さで崩御した。即位後、間もなく李自成の乱が勃発し、明が滅亡。叔父の摂政王ドルゴンに率いられ北京へ入城、中華帝国の主となってしまった。これまでの中国歴代王朝の創始者とは異なり、自ら武力を以て天下統一したのではない。

幼くして北方の田舎(満州)から、中華文明最先端の都である北京へ入城し、先進的なきらびやか文化に触れ、満州族の、北方異民族特有の野蛮性な風習を忌み嫌ったそうだ。

順治帝は「満州族は弓矢を持って天下を取ったが、これからは学問を以て統治していく」と熱心に勉学に励み、漢文化や仏教に没頭していた。

また順治帝は、公式には24歳で崩御したことになっているが、実際は寵愛していた側室が当時流行した天然痘にかかり死に、その死を悼んで五台山へ出家してしまった、との通説がある。

満州文字の隣に、漢字で「世祖(=順治帝)」の文字が見える。

孝陵内にある陵寝門。中には順治帝の側室たちの陵墓があるが、閉まっていた。

慈禧陵(西太后陵墓)

続いて慈禧陵。西太皇とは清朝第11皇帝である咸豊帝の皇后で、第12皇帝の同治帝の生母である。同治帝が天然痘で若くして崩御すると、甥の光緒帝を立て、清朝末期に実権を握り、最高権力者になった。尚、西太后とは日本での呼び名で、中国は通じない。中国では「慈禧皇太后」と呼ばれる。

明楼。この奥に地下宮殿がある。

地下宮殿入口。

棺が安置されている。

「慈禧皇太后」と書かれている。
残念ながら1928年の東陵事件で、軍閥の孫殿英により徹底的に盗掘された。そのため何も残っていない。

裕陵(乾隆帝陵墓)

裕陵。清朝第6代皇帝である乾隆帝の陵墓。

こちらも1928年の東陵事件で、軍閥の孫殿英により徹底的に盗掘された。
台湾の故宮博物院にある「白菜の置物」はここから持ち出された。

景陵(康熙帝陵墓)

景陵。
清朝第4代皇帝である康熙帝の陵墓。

康熙帝は父親の順治帝が24歳で崩御し、8歳で北京紫禁城内で即位した。順治帝の子供の中でも頭脳明晰であったが、当時、不治の病とされた天然痘にかかり、無事回復した経緯があり、生命力の強さを買われて皇帝に選出された逸話がある。

康熙帝は8歳で即位したため、親政する年齢に達するまで、4人の大臣が補佐していた。そのうち4人の大臣の間で権力闘争が起き、身の上を案じる事態まで深刻化する。4人の大臣で最も権力を高め、横暴を振るい始めたアオバイを排除し、皇帝独裁権を確立し、その後に勃発した三藩の乱も鎮圧した。

昭西陵(孝荘文皇后陵墓)

続いて東清陵の入口からもっとも近い場所にある昭西陵。

ここは清朝第2代皇帝であるホンタイジの側室で、順治帝の生母でもある孝荘文皇后の陵墓。モンゴル族ボルジキト氏の出身。清朝の家系にはモンゴル族の血が入っていることになる。

孝荘文皇后はホンタイジ崩御後、皇太后として順治帝を補佐するが、順治帝も24歳の若さで崩御してしまい、今度は太皇太后として、8歳で即位した孫の康熙帝を補佐する。

清が入関して中国全土を支配するが、その後、最高権力者のドルゴンが逝去し、順治帝も若くして崩御し、8歳の康熙帝が即位したものの、愛新覚羅家の権力基盤が弱小化する中、孝荘文皇后は巧みに幼い康熙帝を補佐していき、中国一の名君と称されるまで育て上げた。

昭西陵周辺の様子。

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「孝荘文皇后」の文字が書かれている。

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昭西陵正面の様子。

周辺の様子。

のどかな風景と晴れた景色であるが、空気は乾燥しており、気温は-10℃と非常に寒い。大陸特有の凍てつく寒さで、日本ではめったに体験できない寒さだ。

この風景を見返すと、今でも当時の寒さが脳裏に蘇ってくる。

昭西陵。
孝荘文皇后は康熙帝を題材にした中国ドラマで、太皇太后として必ず登場する。
ちなみに「太皇太后」という地位は、今の日本の皇族では回ってくることのない、存在し得ない地位だ。
清東陵にはなんだかんだと3時間くらい滞在していた。
再度にもう一度、写真を撮った。