北京
明十三陵
定陵⇒八達嶺行きの路線バスが7月末の大雨の影響で運休中であった。白タク運転手に聞くと、八達嶺は事前登録制になったので、前日までに予約していないと入れないという。居庸関は予約制では無く、今から行っても見学できるので、居庸関を進めらた。ここから約10km弱で120元で連れて行ってもらうことにした。
途中、地下鉄昌平線の終点「昌平西山口」駅の横を通過した。
ここは北京市地下鉄(北京城市軌道交通)の最北限駅となっている。
居庸関
十三陵から車で30分程で居庸関へ到着した。この辺の坂の急こう配はきつい。居庸関は北京を守る最前防衛線であり、難攻不落の要塞であった。
居庸関入場口付近へ寄ると、何か様子がおかしい。
入場門付近にいた係員に聞くと、先の大雨で現在閉鎖中とのことだった。とっさの判断で、とりあえず八達嶺まで行ってもらうように運転手に頼んだ。居庸関から八達嶺まで更に10㎞程の距離がある。ここまで来て引き返すわけにもいかず、この状況で居庸関が閉鎖しているなら、八達嶺に行くしかない。八達嶺の当日券が購入できるかもしれないし、ダメでも八達嶺まで行けば、路線バスで北京市内に戻ることが出来る。
居庸関雲台
居庸関から八達嶺に向かう。真横に雲台が見えた。
この雲台、自分の中では居庸関観光の中で最大の観光スポットである。
元の時代末期の1342年から3年かけて建築された。この雲台のトンネルの内部には漢字、古代ウイグル文字、チベット文字、ランジャーナ文字、パスパ文字、そして西夏文字の6種類の文字が刻まれている。いわば中国版ロゼッタストーン的なもので、実際、西夏文字の解読の手がかりにもなった。さらに西夏が滅亡したのが1227年で、西夏滅亡後100年以上経っても西夏文字が使われていた証明にもなっている。
2000年1月、居庸関を訪れた時のアナログ写真。
この時、長春の偽皇宮近くにあった軍服屋で購入した軍服コートを着て観光していた。
雲台。
この雲台のトンネルの内側に6種類の文字が刻まれている。そのうち3種の文字をアナログ写真時代に撮っていた。
雲台の内部に刻まれた古代ウイグル文字。この縦文字は後にモンゴル文字に引き継がれた。古代ウイグル文字は縦書きであるが、今のウイグル文字は横書きである。古代ウイグル文字と今のウイグル文字は全く関連が無い。
パスパ文字。この文字は13世紀に発明された表音文字で、チベットの公文書等に使用されていたが、それほど普及せず、廃れていった。
西夏文字。西夏は1227年にモンゴル軍に侵攻され滅亡した。しかし滅亡から100年以上経った1345年頃、ここに西夏文字が刻まれた。
居庸関長城
車窓から見えた居庸関長城。
車窓から見えた居庸関長城。
2000年1月の居庸関長城。
2000年1月の居庸関長城。
車窓から見えた居庸関長城。
京藏高速道路の側道を走っていく。この高速道路、北京から山西省大同を抜け、内モンゴル自治区のフフホトを経由しチベット自治区のラサまで繋がっている。八達嶺までの近距離区間は「八達嶺高速」とも呼ばれている。
中国の高速道路の中で最もスピードが出せない区間の一つである。
高速を走っている車を、側道を走っている白タクが追い越している。
水関長城は比較的新しく観光地として開放された長城である。自分はまだ行ったことが無い。
八達嶺に到着したが、一般車は入場口まで入れないので、この辺で下車する。しかしここで問題が発覚する。手持ちの現金が160元と小銭しかない。定陵から居庸関まで120元で交渉したが、居庸関が閉まっていたので八達嶺までやって来た。運よく八達嶺に入場できた場合、八達嶺の入場料は40元だ。ちょうど160元持っているので、もし追加料金を要求されたら八達嶺に入場出来なくなる。北京初日に700元財布に入れておいたが、ちょこちょこ使っていて、本日も予定外の出費が重なり、所持金が底をついてしまった。全く気付かなかった。
前を歩く白タクの運転手。車を止めた駐車場から入口まで少し離れて分かりにくいため、親切に連れて行ってくれた。八達嶺の入口に着いて120元を渡すと、追加料金を要求することなく受け取ってくれた。人相は怖いがとても優しい人だった、どうもありがとう!