酒泉の歴史は古く、前漢武帝時代の前119年、劉邦以来の長年の宿敵であった匈奴を霍去病将軍が討伐に成功し、武帝は10樽の酒を霍去病遠征軍に送った。しかし20万もの兵士全員に飲ませられる量ではなく、すべての兵士が平等に皇帝から賜った酒が飲めるよう、10樽の酒を泉に注ぎ込んだ。すると泉の水が濃厚な酒の香りを放ち、美酒が尽きることなく湧き続け、兵士全員が飲むことができた。その泉は「酒泉」と呼ばれるようになった。霍去病の匈奴討伐以降、その勢力下にあった河西回廊に武威、張掖、酒泉、敦煌の河西四郡を設置し、漢王朝の支配下に置いた。
酒泉
酒泉南駅に到着
「張掖西」から1時間10分程で「酒泉南」に到着。
ようこそ酒泉南駅へ!
この高鉄はお隣の嘉峪関南駅行き。なんとなく最後の1人になるまでホームに残り、見送ってしまった。
酒泉南駅。
22:30過ぎで、この時間路線バスは無し。乗り合いタクシーしかなかったので、それでホテルへ向かった。
市内まで1人一律15元。
酒泉賓館
酒泉南駅から乗り合いタクシーで約15分、C-tripで予約した「酒泉賓館」に到着。
標準房285元。4つ星ホテルで本来もっと値段が高いはずであるが、予約の際、「改装中」との見出しがあり、低価格で宿泊で来た。
洗面室。
バスタブ無しだが、水の勢いは強く、タオルはふっかふかであった。
ちょうどホテルへ着いた頃、日本時間で日付が変わった。平成から令和へ年号が移ったのだが、ここ年号発祥の地においては、大和文化の影響は遥か及ばず、時代の推移など微塵も実感できなかった。
翌朝8:00過ぎに下へ降りてみた。
朝食会場。今回予約した部屋は朝食付きではなかった。
フロントの様子。ロビー全般に改装中で、部屋代が通常より安くなっていた。
中庭の様子。
チェックアウト時間が14:00なので、荷物を部屋に置いて、外へ出た。
酒泉の中心地と思われる鼓楼付近へ歩いて行く。
南大街
鼓楼へ向うため、南大街を北上する。南大街はこのように道路の改装工事を行っていた。
歩きにくい。
途中になった南大街の青写真。改造後は写真のようにきれな道路になるらしい。
東文化街
南大街と東文化街が交差する地点。
酒泉飯店
酒泉飯店。
今回自分が宿泊した酒泉賓館と混同しやすいが、こちらも酒泉でそこそこのお値段のするホテル。酒泉ではどちらも老舗である。
ここにも牛肉麺店があった。シルクロード上の主要都市(中国内)で牛肉麺に困ることは無い。
粛州漢唐美食街
粛州漢唐美食街の入口。
朝は閑散としている。ここは「歩き方」にも載っていて、夜はとても賑わっている場所らしい。昨晩は到着が遅すぎて来なかった。
酒泉鼓楼
酒泉賓館から徒歩20分くらいで鼓楼へ到着。
酒泉鼓楼。
酒泉鼓楼を半周する。
東方広場
酒泉鼓楼周辺にある東方広場。
デパートらしいが、この時まだ9時前で、開店していなかった。
KFCがあった。
珈琲が飲みたくなったので、ここで朝食を食べようと中へ入ったが、激混みで諦める。
朝食がまだなので、適当な店を探す。
「一口鮮小龍包」と看板のある店があったので、入ってみる。
店内の様子。
メニュー一覧。一番高いもので7元だ。
焼売7元と豆乳1.5元を注文。
焼売の味は普通。焼売というよりは、包子といった感じ。
食後、伝説の泉がある西漢酒泉勝跡へ向かう。
酒泉鼓楼から西漢酒泉勝跡方面も工事でバスが通っている気配は無いため、タクシーを拾う。
西漢酒泉勝跡
西漢酒泉勝跡へ到着。
酒泉鼓楼からタクシーで5分程度で6元。「歩き方」によると鐘楼から2km、歩いていけない距離ではない。
西漢酒泉勝跡、入場無料。
早速門を潜り、中へ入る。後ろを振り返る。
こどもが歩いている下をよく見ると、文書が刻まれている。
年号起源の歴史
「前156年、景帝前元年7月、武帝劉徹が長安猟蘭殿で誕生、前141年、景帝後三年正月皇太子劉徹16歳で即位、前140年武帝建元年、漢王朝で初めて年号「建元」を使用、中国歴代王朝の年号がここに始まる」とある。
なんと、ちょうど本日、我が国、日の出ずる列島では令和元年初日で、偶然ながら年号の縁を感じる。
その後何枚も河西回廊を設置した前漢武帝劉徹の業績及び武将霍去病の業績が書かれている。
こんなのいちいち読んでいるのは自分だけ。当然の如く、誰一人気にも留めず、踏みつけている。
最後に「ここ天朝において年号制度は廃れ、海を隔てた列島で存続中」などの記述は、当然ながら無かった。
中は公園となっている。
池があり、先に一周してみる。
なんか上海の虹口区にある魯迅公園に雰囲気が似ている。
観覧車があり、動いていた。だけど誰も乗っている気配はない。武威でも見かけた。
何かの石碑がある。
「西漢酒泉勝跡」と書かれている。日本では劉邦の建てた漢王朝を「前漢」というが、中国では「西漢」と呼ばれている。ちなみに後漢は東漢である。
霍去病像
偉大な像がある。
霍去病だ!
中年太りのおっさんに見えるが、彼は若干24歳で逝去している。
像の前には人だかりが出てきてる。
酒泉
これぞ霍去病が樽酒を流し込んだ伝説の泉!(かなりキレイに改修され過ぎている)
九寨溝の五彩池並なキレイなブルー色だ。
伝説通り、これはアルコールなのであろうか?それとも得体の知れぬ、化学薬品で染められた色なのか??
角度を変えてみると、綿花が水面に落ちているのが見える。
しかもかなりの量だ。この時も、綿花がひらひらと宙に舞っている量が凄かった。
自分は花粉症が酷くて、やっと日本から逃げて来たと思っていたのに、正直これには参っていた。
これが伝説の泉、酒泉。
街の名前の由来にもなった。
ここから酒の泉が涌き出ている。実際に飲んで確かめてみよう、とは思わなかった。
伝説の泉、酒泉。
無臭でアルコールの匂いは漂っていない。
それにしてもキレイなブルー色、いったい何で染められているのであろう?
これだけであるが、何となく一度ここへ来てみたかった。
実際来て良かった。満足した。
出口の近くにキレイな藤色の花が咲いていた。
この公園について何か書かれていた。
こういう商売、まだしているんだ!
公園路
バスで市中心地へ戻る。どの辺へ行くのかよく分からなかったが、鐘楼方面へ向かうようなので、とりあえず乗ってみた(1元)。
バスの車窓から。
バスの車窓から。
バスの車窓から。
西関街
百度MAPを頼りに、鐘楼から離れすぎない場所で下車した。鐘楼へ向かい、歩く。
玉皇閣(甘粛省酒泉中学)
途中「甘粛省酒泉中学」と書かれている門がある場所を過ぎる。歩き方によると「玉皇閣」がある場所だ。
おそらくこの中学校の敷地内にあるのであろうが、中には入れなかった。
徒歩で鐘楼へ戻る。
粛州漢唐美食街
粛州漢唐美食街の入口。先ほどの入口の反対側。
酒泉鼓楼
再び鼓楼へ来た。
道路を渡って鼓楼に近づいてみた。西側には「西到伊吾」の文字がある。これは「西は哈密に達する」意味だそうだ。この鼓楼、あとで知ったのだけど、四方それぞれ違う文言の門額が掲げられている。
鐘楼から見て北西方面。ユルキャラたちが集結していた。
鼓楼の中へ入ってみた。
天井に陰陽と八掛の文様がある。某国の国旗を連想させる。
東側は「東迎華岳」とある。
東は華岳を迎えるの意味。
南側は「南望祁連」とある。南は祁連山脈を望むという意味。
こっちは再び西側。北側の写真を撮り損ねた!
漢唐美食街を通ってホテルへ戻る。
粛州漢唐美食街の石碑。
駐車していたミニバンの後部にこのような地図が!!蘭州から西寧、格尓木、拉薩、成都への旅行ルート。
今、外国人にとっては普通に旅行できないルートだ。
酒泉賓館
お昼前にホテルへ戻ってきた。
今回、酒泉は初めてで、予備知識は殆ど無く、実際行けば何かあるかも?と思っていたが、もうすることが無いので、次の目的地へ行くことにした。荷物を整理して、チェックアウトする。
優斯麦牛肉麺
12時過ぎ、チェックアウトを終える。
ホテル隣に牛肉麺屋があったので、ここで昼食を食べることにした。正直、ちょっと牛肉麺は飽きてきたが、酒泉で、他に食べたいものが見つからなかった。
厨房の様子。
写真を撮ったら振り向かれた。撮ってもいいか?と聞いたら「行、随便!」。
今回、趣向を変えて「毛細(極細)!」と言って頼んでみた。
麺を頼んだら、すぐに打ってくれる。
もの凄い早業!!
牛肉麺6元、毛細。
日本の「そうめん」とまでは言えないが、通常より細い。
今回の旅行で、ここの牛肉麺が一番美味しかった!絶品!!
店内の様子。
食後、ホテル対面へ。「歩き方」情報ではここから蘭新線酒泉駅行きのバスが出ている。
酒泉駅行きバスがあったので、乗り込む。ここから酒泉駅までは15分おきに出ている(3元)。
乗車してすぐバスは出発し、酒泉駅へ向かう。
「運転の邪魔をするな!」
「運転手に無駄話しをかけるな!」
中国では、バスで乗客が運転手にいちゃもんをつけて、多々事故が起きている。つい最近でも重慶で女性客が運転手に殴りかかり、そのままバスが嘉慶江に転落して、全員死亡する事故が発生した。
酒泉駅へ向かう道中。
市内から20分程で酒泉駅に到着した。