寧夏回族自治区

銀川/幻の西夏王朝 シルクロード鉄道旅行③

銀川

銀川市近郊

朝起きるとこのような荒野な景色が目に入った。

街中へ入る。

銀川駅

銀川駅到着。

早朝の銀川駅。

6:53ほぼ定刻通り到着した。

西夏王陵の広告。
銀川で最も有名な観光スポットである。

鎮北堡西部影城の広告。
ここは映画セットの観光地。
今回行こうか迷ったけど、結局行かなかった。

駅の外へ出る。

駅前広場の様子。
なんか無駄に広い。

とりあえず先に荷物を預け、身軽になる。
1件8元。

銀川駅舎。

見方によっては、何かの昆虫の顔のようにも見える。

駅舎を離れていく。

とりあえず朝食を食べるため、店を探す。
あのビル群の下の方に店がありそうなので行ってみる。

伊鼎純湯牛肉拉麺

飲食店は少なかったが、あった!
牛肉拉麺店!

厨房の様子。
奥のほうで注文に応じ、都度、麺を打ってくれる。

牛肉麺6元。

あっさりしていて、とてもおいしい!久しぶりの味だ!
昨晩北京西駅で48元の炸醤麺を食べなくてよかった!

食後、西夏王陵行きのバス乗り場を探すが、見つからず。
他情報だと市内の南門始発の旅遊バスが銀川駅も経由して行くらしいのだが、見つからず。
この日は4月29日、4月末でギリ、オフシーズンとなり、今は無いのかもしれない。

時間がもったい無いのでタクシーで行く。
交渉するも、相場が50元でどのタクシーに乗っても同じというので、50元で行くことに。

途中、高速に乗る。高速料金は徴収されなかった

この、何にもない場所に西夏王陵はある。

銀川駅から30分くらいで、そろそろ到着。

西夏陵の入口。

西夏文字。

陵墓の説明図。

陵墓内の看板、ほぼ全て漢字と西夏文字が併記されている。

切符売場。
カート代+入場料で計54元。
実は中にある西夏博物館が改装中で見学出来ないので、半額になっているとのこと。どちらかと言うと、前回来た時に存在していなかった博物館のほうを楽しみにしていたので残念!

こちらも西夏文字が併記されているが、西夏時代に「旅行センター」なんて単語や概念、あったのか?

カートの写真を撮り忘れたが、はじめにカートで陵墓内を回る。

賀蘭山

後の山は賀蘭山。
この付近が縁起が良いとされ、王陵が造らていった。

そして西夏博物館前に到着。
しかし改装中で中には入れない。

近くの建物に臨時の展示室があった。

人形で西夏王国の興亡を説明。
党項(タングート)族は羌族の一支族で、唐の初期、チベット族が吐番を建国し、唐の辺境地域を荒らしまくっていた。
そこで党項族は唐の要請に応じ、今の甘粛省蘭州付近に移住、定住し、吐番の防波堤となり、ある一族が節度使に任命、夏国公に封じられ、李姓を賜る。

時は変わり、李元昊の父、李徳明のの時代まで、党項族は中国(当時は宋)依存が続き、繁栄と安泰を維持していった。

李徳明は賀蘭山付近の地が縁起が良いとし、今の銀川の地、興慶に宮殿、宗廟など建設する。

そして10年の間に都市が形成されていった。展示は西夏時代の興慶府の様子。

西夏時代の商人。
悪徳商人か、善玉商人か?どっちでもいいけど、西夏時代、独特の髪型を強制していた。
一見、奇抜な髪型に見えるが、わが国のちょんまげ(月代)も、日本人であれば見慣れてなんとも思わないが、深く追求すると、これに負けず奇抜かも。

                                     !!

                       !!!

西夏時代の童(わらべ)。
君たちの子孫は今何処?君たちの文明は今何処?

徐々に力を付けていった党項族は、李徳明の子、元昊の時、宋依存の体制から脱却を図る。

中国文化の影響を受けつつも、これとは一線を画すため、独自の文字、服装、頭髪を制定する。

そしてついに1038年に独立、西夏の建国宣言をする。

独立後も宋及び当時東北部にあった遼との攻防が続き、1044年、宋と和睦。

宋に対しては甘んじて臣の立場を取るが、独立を保ち、毎年巨額な歳幣を獲得することになる。

その後、西夏は安定期に入り、李元昊は酒色に溺れ、政治から遠ざかる。
皇后を廃し、その太子(李寧令哥)の妻になる女性を奪い、新皇后に擁立する。
上の写真は、その様子を太子が垣間見ている展示。

1048年、子の李寧令哥に襲われる。
この時、一命は取り留めたものの、鼻をもぎ取られ、翌日出血多量で崩御する。

その後、李寧令哥は父殺しの罪で処刑され、僅か2歳の李諒祚が皇位を継承する。
当然、政治が出来るわけではなく、母親の外戚一族が政治を牛耳る。
西夏は初代李元昊の時、最盛期を向かえ、後は衰退へと向かって行くことに・・

しかしながら何人かの名君が出て、国力を保っていく。

西夏は仏教を暑く信仰。
河西回廊を押さえており、西域から入ってくる多くの経典が西夏文字に翻訳され、多くの西夏語経典が現在も残っている。

そして、ついに1227年・・

新興勢力の蒙古軍に滅ぼされ、189年の王朝の歴史に幕を閉じる。
この時、首都興慶府は徹底的に破壊され、党項族は壊滅させられたという。そのため現在、党項族(タングート族)は現存していない。

西夏文字の規律表。
以前、覚えてみようと試みたことがあったが、30分で挫折した。
社会人として、実用性価値の極めて低いことに貴重な時間を割いてはダメだとも悟った。

西夏文字で書かれた経典の一部。

なんか凄い!

だけど読めない!!

西夏帝王の世襲表。

歴代の西夏帝王たち。

右から3番目が李元昊。
西夏は李元昊が建国したが、祖父李継遷まで遡り、太祖と位置づけた。

西夏文字で刻まれた碑文。

全く読めないけど、この文字に対して、何か神秘的なものを感じる。

最後は李元昊の陵墓を見学。
だけど遠い・・

ボツボツと穴が開いているが、鳥が中に住んでいるようだ。

近くに軍事基地があるらしく、軍用機がやたらと飛び交っている。

こちらは外壁跡。

下の方はレンガが残っている。
元の状態はこんな風だったのか?

柵が倒されている。

近くへ寄ってみる。

触ってみた。
一見すると脆そうなようだが、触ると非常に硬い、カチカチ。何百年もの風化に耐えてきたのを実感する。

また来た!


けっこうな騒音が鳴り響いている。

西夏陵を後にする。
この後、タクシーで市内にある寧夏博物館へ行く。

市内方面に行くタクシーに声を掛けられ、相乗りで40元。

30分程で人民広場前に到着した。