福建省

泉州/「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」の世界遺産巡り

泉州

中山北路

朝7:00過ぎの中山北路。泉州市内の繁華街の一つで、昼間は多くの人で賑わっている。

閩南料理の「灶婆巷」。1階と2階が飲食店「灶婆巷」で、3階~5階が民宿の「未覚雅舎」となっている。民宿の看板が一切表に出て無いので、昨日来た時は分からなかった。

中山北路の両脇にある建物はレトロ調となっている。また表向き2階建てのように見えるが、屋上の上にも建物があり、5階建ての作りとなっている。

北方面に向かい500m程先には鐘楼がある。

まだ朝早いので、どのお店も閉っている。

鐘楼

歩いて鐘楼へ来た。ここを左折して西街へ入り、開元寺へ行く。

西街沿いにある路地の様子。

昨日と同じ場所で開元寺の鎖国塔を眺める。

7:30頃、開元寺へ入る前に朝食を食べる。開元寺付近にあったお店へ入る。

花生湯(ピーナツスープ)と焼売4個を頼んだ。合計15元。花生湯は泉州の名物らしい。

開元寺

朝食を食べ、開元寺へ入る。

ここは「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」を構成する一部として、世界遺産登録されている。

入場は無料。パスポート提示も不要。

入場可能時間は6:30~17:15となっている。

正面入口の門の中の様子。

両脇には2体の大きな像がある。

古くからあるものではなく、近年に作られたもののようだ。

ここは仏教寺院であるが、この像の面影は道教の像に似ている。

大雄宝殿

大雄宝殿。

中へ入ってみた。

蔵経閣

泉州開元寺仏慈悲安養院

鎖国塔(東塔)

鎖国塔(東塔)。

北宋時代の1238~1250年の間に建設された。

高さ48.27mで八角形の石塔で、壁面には高層や菩薩が彫られている。

真下から上を眺めてみた。

八角の一面に2人の像が彫られている。

壁に彫られている像は一つ一つ異なる。

氣雲屏

伝説の生き物である麒麟が描かれている。

仁寿塔(西塔)

西側にある「仁寿塔」の方へ行く。

「仁寿塔」。東の「鎖国塔」と同じ感じであるが、壁に描かれている像は鎖国塔と同じく、一つ一つ異なっている。

真下から上を眺めた様子。

仁寿塔から鎖国塔を眺めてみた。最上部の屋根だけ見えた。

開元寺西門

西門から外へ出た。正門は歩行者天国となっている西街にあるが、西門は新華路という通りに面しており、すぐそばにバス停がある。

開元寺の説明文。

「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」を構成する史跡として世界遺産登録されている、泉州市内の史跡場所。

泉州古城内にある世界遺産史跡。この後、泉州府文廟へ行く。

開元寺西門から泉州府文廟までバスで5駅、所要約10分。

泉州府文廟

開元寺の西門からバスに乗り、泉州府文廟へやって来た。

世界遺産の石碑。

ここ文廟も2021年7月25に日に「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」を構成する一部として、世界遺産登録された。

文廟とは、平たく言えば昔の学問所である。

大成門

正門である大成門から入場する。入場料は無料で、パスポートチェックもなし。

西棟

ここにも泉州の歴史や、台湾との関係を示す資料が展示されている。

福建は台湾漢民族同胞の祖籍地で、福建移民、とりわけ閩南移民は台湾開発の主力となっており、閩台両地域の血縁関係は、両岸文廟交流の心の礎となっている。

文廟の構成地図。

大成殿

一番奥にある大成殿。中へ入ってみる。

中の様子。

天井の様子。かなり精巧な造りとなっている。

東棟

泉州市の行政区分。一番下の金門県(金門島)は泉州市内の区分であるが、現在は台湾が実行支配している。閩南と台湾は同根同源なので、そんんなの気にしないのだろう

19世紀清朝後半の教育現場の様子。日本でいう寺子屋のようなもの。だけど髪型、服装から見て、我が国の文化、雰囲気とはだいぶ違う。

福建と台湾の関係性は深い。

19世紀に福建から東南アジアへ移住した華僑の人口分布図。

昔の泉州の写真。開元寺の鎖国塔、仁寿塔が収まっている。

文化教育師範区

講堂があった。

明末の陽明学者 李卓吾(李贄)

明末の思想家で陽明学者である李贄の紹介がされていた。ここ泉州出身らしい。世界史では「李卓吾」として登場している。

李贄は陽明学左派で、当時としては過激な思想家として、彼の書物は明滅亡後の清の時代でも禁書にされていた。

彼の思想は地下で受け継がれ、中国で封建社会が崩壊して儒教の権威が落ちていくと、徐々に脚光を浴び始めた。日本では吉田松陰らにも影響を及ぼした。

李贄の故郷は泉州市晋江県にある。

清浄寺

泉州府文廟と同じ通りにある清浄寺へ来た。バスで1駅程度の距離にある。

ここはモスクのあるイスラム寺院である。

入場料3元。

北宋時代の1009年に建設された。

寺院の中に3つの石碑がある。1350年、1407年、1609年のものがあり、写真は1407年のもの。イスラム文化の影響を記した貴重な資料となっている。

奉天壇

奉天壇。ここは礼拝堂の跡地である。

墓石が置かれていた。

この清浄寺も「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」を構成する一部として世界遺産に登録されている。

10分ほどで見学を終えた。

敷地の外から見えたモスク「明善堂」。

こちらは現在立ち入り不可であった。この後、お隣の関帝廟まで歩いて行く。

関帝廟

清浄寺から歩いて5分程で関帝廟へ到着した。

ここは関羽と岳飛を祭っている廟である。

この関帝廟は世界遺産に登録はされていないが、泉州を代表する寺院であると思う。

多くの人が線香を購入し、何かを祈願している。中国の線香は日本のものよりかなり大きい。

みなさん、熱心に何を祈願しているのだろう?

屋根の作り物も精巧である。

中の様子。自由に出入りできる。

多くの人が火のついたデカい線香を持っているので、人混みの中を歩くのはとても危険である。

ひとまず退散する。

関帝廟から更に南下して天后宮へ行く。距離としては1.5㎞程あるが、関帝廟から天后宮バスがないので歩いて行く。

泉州后天宮

関帝廟から徒歩15分程で天后宮へ到着。

入場無料で身分証明書チェックもなし。

この泉州天后宮は「泉州:宋元時代の世界海洋商業貿易センター」を構成する一部として世界遺産に登録されている。

天后宮正殿

境内の様子。

「天后宮」とは海の女神である媽祖を祭る廟で、福建省南部で主に信仰され、各地にある。マカオにある媽祖も有名。ここ「泉州天后宮」は各地にある天后宮の中でも最大規模を誇る廟である。

三河殿内側戯台

媽祖は公開の安全を守る神として、漁師や船乗りらから熱く信仰されている。

泉州天后宮は1196年の建設された。日本でいうと鎌倉幕府開幕初期。

寝殿の後ろ側へ行く。

寝殿

寝殿。

中へ入ってみる。

梳妆楼

寝殿のお隣にあった梳妆楼。いわゆる更衣場である。ここは閉まっていた。

中山南路

泉州天后宮を見学後、民宿へ戻る。天后宮から民宿までは歩いて3㎞程あるが、途中で観光用の巡回カートが来て、それに乗り、中山南路で下車した。

泉州古城内、このような泉州スタイルの衣装を纏った女性があちこち普通にいる。

中山北路

11時頃、民宿へ到着し、荷物をまとめてチェックアウトする。チェックアウトといっても、微信で「退房」と連絡するだけで終わった。

鐘楼

民宿から歩いて鐘楼まで来た。

開元寺のある西街の方向。お昼前で人が多い。

医大二院鯉城院区

鐘楼から更に北へ50m程の場所に「医大二院鯉城院区」というバス亭がある。ここからバスで泉州駅まで行く(1元)。鐘楼から泉州駅までは11㎞ある。

中山北路を北上していく。

老君大道

清涼山方面へ行く分岐点。

泉州駅

正午過ぎに泉州駅へ到着した。

駅前広場の様子。人が少なく、閑散としている。

福州行きの列車に乗車するまで時間があるので、昨日乗車したバス乗り場近くの食堂へ行く。

陳記小吃店

昨日来た時に目を付けていたお店へ入る。

店内の様子。

店内で荷物預かりもやっているようだ。

閩南炊き込みごはん、麺線糊、そして最後の食べ納めとして閩南名物の海蛎煎を注文した。どれも美味しく、泉州観光の締めの思い出となった。

食後、改札へと向かう。途中、同じような看板がいくつもあった。

この人は郭晶晶で、北京オリンピックの女子飛込の金メダリストである。当時、美人でクールな表情が話題となった。今はもう40歳を超えているオバ様になっていた。。

泉州の観光案内図。鐘楼付近の店で電動自転車が借りられるらしい。早く知っていれば、電動自転車で観光していた。中国では電動自転車は免許がいらない。

泉州の観光案内ルートの紹介。

13:16発のD6214で福州へ向かう。

昨日アモイから泉州へ来て、23時間程の泉州滞在であった。