福建省

永定/福建土楼 ①土楼王景区

龍岩市永定区

土楼王景区(高北土楼群)

アモイ発6:10の高鉄で龍岩へ行き、そこからタクシーに乗り、9:00ちょうどに土楼王景区に到着した。

福建土楼は2008年に世界遺産に登録されている。

現金でチケットを購入した。この後行く土楼王子景区とのセット価格で98元であった。ここ単独のチケットでも90元するので、セット購入の方がお得である。

「荷物預け場はないか?」と公安の窓口に聞くと、「無いのでここに置いていいわよ」と写真左の公安女性が言うので、お言葉に甘えて置かせてもらった。実際にこの後、入口付近にあったコンビニで有料でに荷物預かりをしているのを発見した。参考までに値段を聞いたら、1件5元だった。

永定区にある土楼の分布図。代表的な土楼は、ここ「土楼王景区(高北土楼群)」と、ここから5㎞程離れた「土楼王子景区(洪坑土楼群」である。その他、有名所としてここから15㎞ほど離れた南渓土楼群や35㎞離れた初渓土楼群などもあるが、それ以外にも多くの土楼がある。これらの土楼を見学するには、自力で車をチャーターするしかない。

以前の旅行記を見ると、バイクタクシー等がどこでもいるような記事を見ることもあるが、昨今マイカーが普及している中国では、土楼へ観光に来る人は圧倒的に自家用車で来る人が多く、タクシーやバイクタクシーは全く見かけなかった。

土楼王景区の入場口。

土楼王景区の案内図。

個々の地域は「高頭」と言ったり、「高北」と言ったりするが、「高頭鎮」と「高北村」のどちらが行政単位で上なのか、正直よく分からない。DeepSeekで調べたら「鎮」は日本の「町」に相当するらしく、ここの場所は「福建省龍岩市永定区高頭鎮高北村」が正式な住所となるらしい。

僑福楼

入口から歩いて5分程で土楼が見えてきた。

初土楼一発目は僑福楼である。

この門のデザインが好ましい。兵庫県の城崎温泉周辺地域の地酒に「香住鶴」という日本酒のブランドがあるが、その一銘柄のラベルにも似ている。

僑福楼のは1962年創建で、土楼の中ではかなり新しい土楼である。そういえば壁がコンクリートっぽかった。1962年といえば文化大革命の前夜であるが、この時代に土楼を建設する必要性があるのか?中国では1980年代に入るまで、特に田舎は清朝時代と大差ない発展ぶりなので、十分あり得ることだと思う。

僑福中の様子。空がかなり怪しいが、10分程して土砂降りの大雨が降って来た。そして20分程でカラりと止んだ。

土楼1階には祖先を祭る廟がある。土楼の入り口は1か所で、入口の対称側にある。

この後、数多くの土楼を見学するが、どこの土楼にも必ず廟がある。たまに廟が無い土楼もあったが、それはホテルや観光施設用に改築され、撤去されたからだ。

土楼にもあったご当地アイス、1個20元。買わなかった。

承啓楼

続いて僑福楼のお隣にある承啓楼を見学。

「承啓楼」、これこそが正に土楼王と呼ばれている土楼である。

非常に立派な門構えである。

ここへ入るには土楼王景区のチケットの検閲があり、一人1回しか入場できない。

但し17:00以降、検閲員が居なくなれば、自由に入場できるようにある。有名な土楼はみな同じような感じで日中は入場制限をしている。

承啓楼は清朝康熙時代の1709年に江集成という人により建設された。

中へ入ると、更に廟を取り囲む円形の壁がある。

承啓楼の廟。

廟の中の様子。創業家の江氏一族を祭っている。

1階土楼部屋の様子。お茶の試飲と販売をしている部屋が多い。

厨房の様子。1階は水を使用する厨房やシャワー室が集中している。

洗濯機も置いてあった。

烏龍茶の中でもハイグレードな鉄観音の茶葉が売られている。ここ福建省が産地である。

竈(かまど)もあった

廟の右手側に井戸があった。

覗いてみると、小魚が泳いでいた。水質確認用で意図的に泳がせているらしい。

写真のツアーガイドがマイクで喋りながら、そう言っていた。

お茶の試飲をしている店が多く、そのうちの一軒に誘われ、試飲した。「紅美人」という福建省産の紅茶を飲んでみた。何杯かいただいたが、購入はしなかった。

20分程見学して外へ出た。

土楼の壁を触ってみた。

土楼という呼称の通り、土で作られたものであるが、岩の如く硬い。トラックが突っ込んでもビクともしないと思う。

ほとんどの観光客がこの位置で写真を撮っている。非常に絵になる写真。

中国どこにでもある標識、ここにもあった!

今年で316年になる土楼王「承啓楼」。勇ましい姿を目に焼き付けた。

世澤楼

次は「世澤楼」こちらは方形土楼である。。

こちらの方形土楼も入って向かい側の対称の位置に廟があった。

残念ながら、ほとんどの土楼は上へ登れない。当然、大量の観光客が上層階へ押し寄せると危険である。

世澤楼は4F建てである。

慶裕楼

「慶裕楼」。

「世澤楼」から更に100m程進んだ場所に土楼が見えたのでやって来たが、ここは「土楼王景区」の外のエリアになる。後でそれに気が付いた。確かに住民用のゲートから出て行った覚えがある。

土楼王景区外の土楼のためか、別途5元徴収された。門には子供3名がお手伝いとして番をしていた。

内部を一周した。

廟もあった。

洗濯物が干されている。観光用に開放されているが、住民も普通に居住しているようだ。

11時頃、「慶裕楼」から再び土楼王景区内に戻り、観景台へ向かう途中、飲食店街があった。写真の老板娘の熱心な呼び込みに負け、少し早めの昼食を食べてることにした。

写真を見て選んだ汁無しの麺。味は普通、香菜(パクチー)が多く入っていた(15元)。

観景台

入場口前にある階段を上り、観景台へ登っていく。

観景台からの眺望。それほど高い場所ではないが、入場口からここまで階段を上り、15分ほど掛かる。

中央の一番大きい土楼が「承啓楼」、その右が「僑福楼」、手前の方正型が「世澤楼」。

ここは高頭鎮という小さい村であるが、景区から外れた村内にも土楼が見える。街中に普通に溶け込んでいる。

別な場所にも土楼があった。現代の建物の中に完全に溶け込んで共存している。

「承啓楼」と、先ほど行った「慶裕楼」。さらにその向こうにも土楼があるのが見えた。

手前から順に「世澤楼」、「僑福楼」、「承啓楼」、「慶裕楼」が見える。更にその向こう側にも複数の土楼が見える。この写真の中に、いくつの土楼が映っているか?

答えは9つの土楼が映っている。