河南省

安陽/殷墟博物館と甲骨文字

安陽

殷墟博物館

殷墟王陵遺跡からカートに乗り「殷墟博物館」へやって来た。

この博物館は2023年10月に開館した、新しい博物館である。

それと、とてつもなくデカい。入場料は90元であるが、ここも旅行推進キャンペーン期間中の特典で、外国人は半額の45元で入場できた。入口の上の文字は読めないが、甲骨文字で「博物館」と表記されているかもしれない。

早速中へ入ってみる。

王朝としての殷は、中国では「商」と呼ばれている。だけど「殷墟」など“殷”が用いられているのは謎。ここでは“殷”で表記統一するが、殷は都を5回変えている。鄭州で始まり、ここ安陽が最後の都となっている。

甲骨の展示がある。

博物館のガラスの壁から外を眺めてみた。対岸の向こう側が、先ほど見学してた殷墟遺跡である。さらにその背後に工場があるのは、さっき気が付かなかった。

博物館内にはカフェがあり、休憩所もある。軽食コーナーもあった。博物館へ入場したのはちょうど12時でお昼時であったが、時間が押しているのでこの日、昼食は食べなかった。コーヒーは1杯32元(約650円)と高い。

甲骨の展示

このような感じで文字らしきものが刻まれている。

刻まれた文字は、コンパスの針で刻まれたような感じで、非常に細い。初めて目の当たりにしたが、これは意外であった。

甲骨文字。

甲骨文字。

このような感じで、甲骨は出土されたようだ。

せっかくなので、甲骨文字と自撮りしてみた。

甲骨文字と現行漢字との対比表。

甲骨文字以外の、その他の展示物もある。

殷王朝と世界主要地の文明対比として、3人の女性が紹介されていた。クレオパトラと、先ほど行った殷墟遺跡で、未盗掘で発掘された殷代23代武丁の妃である婦好、もう一人はよく見なかった。

婦好。彼女は殷王朝第23代武丁の妃であるが、自ら軍を率いた軍司家でもあったらしい。

本当にこのように凛々しい面立ちであったのか?未盗掘の陵墓の骨から復元されたので、まんざら虚空ではないかも知れない。尚、彼女の存在は司馬遷の史記には記述がない。殷墟で出土された甲骨の記録しか現存していない。

殷墟遺跡の版図。安陽東駅からタクシーに乗車した時、運転手から言われたが、殷墟は主に3つの場所に分かれている。

幻想的な壁画の展示があった。

1時間程見学して、外へ出た。

マンホールに刻まれる「殷墟博物館」の文字。

最後にまた同じ場所で写真を撮ってみた。

「殷墟 人類文明の宝庫」まさにその通りだと思う。この博物館、非常に見応えがあり、とても感動した!