永定
湖坑鎮洪坑村

正午過ぎ、高頭鎮高北村にある「土楼王景区」から5㎞程離れている「土楼王子景区」へやって来た。ここは別名「永定土楼群」「洪坑土楼群」「福建土楼客家民族文化村」など複数の名称があり、ややこしのだが、地元で一般的な「土楼王子景区」の呼称で統一する。※写真は夕方撮影したもの。

「土楼王子景区」の見取り図。川に沿って細長く、端から端まで3~4㎞はある。この景区最大の見どころは土楼王子と呼ばれている「振成楼」で、ちょうど景区内の中央に位置している。

「土楼王景区」で購入した共通券(98元)で入場した。

本日はここに宿泊するため、先ずは予約していた宿へ向かう。とにかく荷物を部屋に置いて、身軽になりたい。
臨陽楼(臨陽客桟) <土楼No.5>

着いた!臨陽楼!!本日はこの方形土楼に宿泊する。高徳地図を頼りに比較的容易に見つかったが、入口からここまで歩いて30分以上かかった。

予約はTrip.comで行い、1泊3900円程。中国大型連休中の宿泊なので1か月以上前から予約をした。予約はできたがものの、ここはキャンセル不可であった。

庭の様子。夜はここで食事もできる。

早速中へ入る。ここは地元レストラン(私家菜)も兼ねており、入って早々に出迎えた老板娘から「食事に来たの?」と聞かれ、「泊まりに来た!」と返答した。宿泊者リストを見せられ、「これ?」と、すぐに認識された。外国人宿泊者が1人だけで、自分の名前だけローマ字で印字されていた。

方形土楼の中の様子。階段を上って4階へ通された。

見た感じ、耐震性が心許無い。しかし土楼の中はみなこんな感じで、歴史が長い土楼は400年以上もこれで耐えている。

部屋の中の様子。4階の角部屋だった。中はリフォームされていて綺麗であった。


窓から外を眺めた様子。


1時間ほど部屋で休んで、他の土楼見学に出かけた。

輝萼楼 <土楼No.6>

輝萼楼。

清朝乾隆帝時代の1736~1795年にかけて建設された。

方形土楼であるが、一部角が崩壊していた。


尚徳楼 <土楼No.7>

続いて尚徳楼。

こちらも方形土楼。


こちらも輝萼楼と同じく、清朝乾隆帝時代の1736~1795年にかけて建設された。

八か条の村民規約が掲げられてる。この後、多くの他の土楼を見学したが、たいていの土楼の門の箇所に同じ内容の村民規約が掲示されていた。


川を挟んで対岸に福裕楼がある。こちらは有名な土楼で、後で見学する。
如昇楼 <土楼No.8>

如昇楼。


こちらは小規模な円形土楼である。

清朝末期の光緒帝時代1875~1908年に建設された。林氏一族の住居である。

中の様子。

空を見上げてみた。

小規模であるが故に撮れる風景。

縮小して撮影。

どこの土楼にも必ず廟がある。

10元で上に登れるので、上がってみた。




空き部屋の様子。



窓から外を覗いてみた。

先程の福裕楼が見える。

のどかな風景である。

窓周辺の壁の様子。土楼なので、壁は土で出来ている。

崩れた欠片があるので、記念に持ち帰ろう!とも考えたが、村民規約に違反する行為をすると法により処罰されるので、思い留まった。

3階から眺めた様子。何世帯か分からないが、実際に何人かはここに居住している。一つの土楼は同じ一族が居住しているので、ここの土楼はみな林氏である。

空き部屋の様子。物置きというよりゴミ捨て場と化している。

2階以上は寝室になっている。

そして1階は厨房、浴室、トイレなどがある。水回りは全て1階である。


空き部屋。


階段の踊り場に干されていた洗濯物。

3階から撮影。

2階へ下りて撮影してみた。


1階へ下りる階段。


如昇楼をあとにして、更に北上する。
西成楼 <土楼No.9>

続いて西成楼。ここは方形土楼である。

入口正面には廟がある。

中の様子。かなり年季が入っている。

ここも実際に人が現役で居住している。


拱成楼 <土楼No.10>

拱成楼。こちらも方形土楼。


こちらも方形土楼である。

土楼の住民が結婚したらしく、祝賀した人の名前が掲げられている。

九盛楼 <土楼No.11>

九盛楼。

こちらも清の乾隆帝時代1736~1795年に建設された。輝萼楼、尚徳楼、如昇楼、西成楼、拱成楼、これら全て同じ年代に建設され、林氏一族の土楼である。

中の様子。

入口正面にある廟。

廟から見た入口。

この九盛土楼が土楼王子景区内の最北端に位置する土楼のようなので、戻ることにする。

先ほどの如昇楼の対岸側に来た。

こじんまりとした、大変かわいらしい土楼だ。
福裕楼 <土楼No.12>

先ほど如昇楼から眺めた福裕楼へやって来た。

川沿いにあり、近くから全体像を撮れないのだが、先ほどの如昇楼の位置から眺めると、このような感じだ。

福裕楼は清の光緒帝時代の1880年に林上堅という人により建てられた。府第式方楼という特殊な建築様式である。

そして林上堅の3人の息子により3分割され、格子状に仕切られている。門もそれぞれ3つある。

中の様子。建物の後方は5階建てとなっいている。


また内部には宿泊施設もあり、Trip.comで予約もできる。

ここにも私家菜があり、食事ができるが、この時14時過ぎであったので、誰も食べていなかった。


廟の様子。





福裕楼前の狭い小道を通り、次へ向かう。