新疆ウイグル自治区

チャプチャル・シボ自治県/満州語が使われている街 新疆ウイグル自治区・北疆の街②

伊寧

全季酒店/上海城店

伊寧駅からタクシーへ乗り、15分程で到着(15元)。ホテルの場所は「上海城」ということだけしか覚えておらず、それだけの情報でホテルが見つかるか不安であったが、問題なく着いた。宿泊先は「全季酒店」でC-tripで予約、朝食無しで226元。予約前に事前に電話して、外国人でも間違いなく宿泊できるか確認し、OKとのことで予約した。新彊では外国人が宿泊できるホテルは少ない。ネットで予約が通っても、実際行ってみて拒否されるケースも多々発生している。自分は直接電話で確認し、3軒掛けてこの酒店からOKをもらった。

中国のホテルは朝からでもチェックイン出来るところが殆どで、シャワーを浴びてから観光に出かけようと思ったが、フロントへ行くとまだ部屋が空いていないという。フロントの女性は机でうつ伏せになって寝ていて、「あなたは来るのが早い、こんな早くじゃ部屋はすぐには空かない。」と言われた。まだ7:30過ぎであるが、新彊時間では5:30、そう言われるとそうかもしれない。ちなみにチェックアウトは北京時間の14:00で、それまで待っていられない。時間がもったいないので、荷物を預けて出かけることにした。

馬三元牛肉拉麺

「馬三元牛肉拉麺」。ホテルの建物の1Fにあった。昨日、烏魯木斉南駅で食べたのと同じ連鎖店だ。

早速朝食を食べに入る。

今回は「清湯拉麺」ではなく「拌麺」にしてみた。

これまたとても美味しい!

「宜賓燃麺」みたいな感じで、とても美味しい!!朝からこんなの食べれてプチ幸せな気分。

食後、ホテル前でタクシーを拾い、早速この旅の第一目的地である察布査尓錫伯自治県へ向かう。公共手段の行き方もあるかも知れないが、乗り場が分からないし、伊寧からそんなに遠くはないのは確認していたので、行きはタクシーで行くことにした。

伊寧市内から察布査尓まではタクシーだと60元相場とのこと。敢えて交渉せず、乗車した。途中、察布査尓まで22kmの看板が見えた。

伊犁河

伊犁河らしい。この橋は「伊犁大橋」とは違う橋だ。乗車してからここまで少し時間が掛かった。ここへ来る前、百度Mapで確認したところ、伊犁大橋から察布査尓市街地まで10kmほどであったが、伊犁河の場所が市内から結構離れているので、伊寧市内からは22kmというのは正しいようだ。

伊犁河が見えた。

暫く走行する。

途中検問に出くわした。外国人は入境不可であったらどうしようと、少しビビッた。察布査尓へ行く目的を聞かれ「観光」と答えると、少し不思議そうな顔をされた。外国人はパスポート番号を控えられ、写真も撮られた。
手続きに少し時間が掛かったが何とか無事に通過出来た。タクシーの運転手は心配気な様子で、そうにエンジンを止めて待っていた。

察布査尓錫伯自治県

無事、検問を通過し、察布査尓自治県へ入る。

錫伯古城

8:43に錫伯古城に到着。入場門に開門10時半と記載があった。まだ2時間近くもある。ここで待っていても何も無いので、市街地へ行ってもらうことにした。後で知ったが、ここから市街地までは7km程度あり、20元が相場とのこと。

市街地へ到着。
運転手から「どこへ行きたいんだ」と聞かれ、返答に困ってしまう。事前情報は何もない。運転手も困った様子であったので、「そこでいい」と言い、適当な場所で降りた。

青年街

青年街という通りで下車した。
早速であるが、道路の標識には明らかにウイグル語ではなく、蒙古文字っぽい文字が併記されている。満州語だ!(★正確には錫伯語というが、ここでは便宜上、満州語と記載する。)

こちらも満州語。
満州語といっても、モンゴル文字をやや改良したものなので、内蒙古自治区で見かける文字と大差無い。ウイグルイグル自治区であっても、ここは明らかに違う場所なんだ!

暫く歩いて散策する。

道路の看板にも満州語。

西域超市(スーパー)。正に西域にあるので、その名の通り。

殷登路杜林拝街

「殷登路杜林拝街」。
この通りが察布査尓一番の繁華街のようだ。

小学校の門にも満州語。

「緊急避難場所」看板にも満州語。

通りの名前にも満州語。

「農業局」の看板にも満州語。

怪しい按摩の看板には満州語とウイグル語の表記がある。
なんか下に「八旗技術、宮廷秘法、仁心仁術、卓絶神奇」なんて書いてあるけど、本当かよ!

「柴氏牛肉麺」の察県旗艦店。「旗艦店」と称する程の店舗ではない。

適当に歩いていたら、面白そうな建物が目に付いたので行ってみる。

大西遷錫伯文化酒楼

「大西遷錫伯文化酒楼」。

どうやらもレストランらしい。この時点で北京時間の10:30、中へ入ってみる。新彊時間では8:30で、まだ開店していなかったが、受付におばちゃんがいて少し話をした。お店は北京時間の13:00に開くとのこと。この店は錫伯族と何か関係があるのか聞くと、特に関係は無いらしい。地域柄、このような店の名前を付けただけという。おばちゃんは何民族か聞いたら漢民族であった。なんか興ざめした。

お店などが集まる地帯はだいたい歩き尽つくしたので、タクシーを捕まえて、少し離れたところへ行ってみることにした。

タクシー運転手に20分ほど市内を走ってくれと頼む。運転手は漢民族であった。

写真を撮り損ねたが、途中、人民法院があり、門の付近に多くのウイグル人が集まっていた。運転手が言うには「いつも何かを訴えに来るのはウイグル族だ」とのこと。

なにやら近代的な施設。

五輪のマークののようだが、微妙に違う。パクリのようだ。

街外れの住宅街に来た。

この先、更に進んでも何も無さそう。

木の下の部分が白く塗られている。

そういえば、来る時もこのような木をよく見た。

特に何があるという訳でもなく、市街地へ戻ることにした。

査魯蓋路東街

再び中心地へ。ここ「査魯蓋路東街」察布査尓で最も栄えている繁華街のようだ。
ローカルスーパーや、小さい雑貨店などが開きだし、何人か暇そうにしている店の店員に聞き込みを行った。
民族を聞いたら、どの人も漢民族であった。ウイグル人は見た目で分かるので、敢えて聞いていない。錫伯族が街中で満州語を話しているイメージとは程遠い状況だ。

7㎞先の錫伯古城へ向かう

11:30頃、さっきの錫伯古城へ行ってみる。何か違う光景が見られるかもしれない。道を尋ねた漢民族のオヤジが、親切にも古城方面へ行くタクシーを捕まえてくれた。後部座席に先客がおり、相乗り5元。相乗りでないと20元が相場という。

自分は助手席に座っていたので、運転手に何族か尋ねてみると「錫伯族」であった。後部座席に座っていた中年2人も錫伯族であった。しかし写真を撮れる雰囲気は無い。自分以外、普通話ではない、ドスのきいた言葉で会話をしていたので、今のは錫伯語かと聞くと、「そうだ」という。ここで話されている満州語は「錫語」と呼ばれていることが分かった。

微妙に感動した。多少変化はしていると思うが、これが満州語なのか!と感じ取った。運転手と後ろの乗客に「東北に住む満族(満州族)とも錫語で会話できるか?」と聞いたら、皆、笑いながら「行ったことが無いので分からない」とのこと。

錫伯古城

入場料45元、はっきり言って高い。2008年以降、多くの博物館や、その他愛国精神を植えつける施設の入場料が無料になっている中、この値段は高すぎる。

門を潜り、城壁の内側へ入る。1年半位前に出来たらしい。

中へ入って入口の門を見た様子。

城壁が続くが、この城壁、道路沿いにしかない。

錫伯族西遷歴史展覧館

内モンゴル自治区の地図があった。満州族、錫伯族の起源は鮮卑族らしく、もともとは赤峰、通遼、興安盟付近に居住していた民族らしい。

北京紫禁城養心殿のレプリカ。「康煕王朝」や「孝庄秘史」等の歴史ドラマでは、皇帝が執務を取る場所としてよく出てくる。

錫伯族が瀋陽から察布査尓まで移動してきた経路。
よく見ると外蒙古(現:モンゴル共和国)国を通過しており、今では考えられないルートを渡っている。

清の時代、外蒙古は清朝の領域内であった。

約2年近くに及ぶ移動の苦難を示した石碑。

道なき道を渡り行く。

冬場の過酷な様子。

行く道、敵に立ち向かう。

道中、助け合う。

2年を掛けようやく辿り着いた。

乾隆帝から下された奉旨。

満州語版もある。

錫伯族の人口分布。
意外にも錫伯族人口が一番多いのは新彊察布査尓ではない。本拠地遼寧省の13万2431人。最も少ないのは江西省の81人(2010年統計)。

その中で新彊に居住する錫伯族人口は3万4399人。うち察布査尓には2万576人。錫伯族総人口は19万481人(2010年統計)。

共産党が発行した土地の所有証。

満州八旗の紋章。

錫伯語についての説明。
錫伯語は満州語が基礎となっていて、黒龍省三家子屯地区や愛輝地区の口語列表対照表から、使っている口語は同じである、との記載がある。
学術的にはそうかもしれないが、その後の聞き込みで、これには疑問が出てきた。

どうでもいい銅像の前で、漢民族らしき老人観光客集団が楽しそうに記念撮影をしていた。
そんなことよりも、今年は西遷252周年らしい。

見所はこれくらいで、退散することにした。
この敷地内、全体的にまだ工事をしており、未完成である。

再度、移動ルートの地図。
今では考えられないルートを通っている。

外へ出た。
工事をしている。

入口門の前の店。
ここではどうでもいいお土産が売られ、食事が出来るようになっていた。
そもそもこの辺一帯、錫伯風情区として開発を進めて行く様子であったが、完成はまだまだ先といった感じだ。
(でも変化が早いので、1年後には出来上がっているかも。)

暫くして通りかかったタクシーに乗せてもらい、市内へ戻る。
先に乗客が乗っていたので、「相乗り料金5元でいいか?」と聞いたところ、「相場を知っているのか?」と言われた。

農貿市場

市街地の国遊飯店近くにある農貿市場前で下車し、農貿市場へ入る。
入るのにも身分証明書とボディチェックを受けるのであるが、パスポートに慣れていないのか、検査に時間が掛かった。

このようなナンの売店は、ウイグル各所どこへ行っても本当によく目にする。

肉屋。羊肉がメインであるが、このような光景もウイグルではどこでも見かけるので、驚かなくなる。

超ローカル色の強い農貿市場の中で、一見お洒落なお店があった。

中へ入ってみる。

日本ではなんら珍しくはないがが、ここではかなり異色のお店だ!

食事ができるスペースがあったので、休憩としてお茶をする。
珈琲を頼んだが、中国でよくあるインスタントの砂糖ミルクいりのネスカフェであった(7元)。ケーキの味は微妙(8元)。

今では珍しくなった「布靴」(黒)が売られている。

一足購入した(10元)。
しかしその後、使用することなく、メルカリで販売した。

実はこのような雑貨の下に、満州語らしき新聞紙が敷かれているのを1回見たが、古新聞を持ち帰ることは考えていなかったので、気にしなかった。しかしその後、新品の満州語新聞が見つからず、困ることになる。

農易市場を出て、また暫く探索する。

察布査尓賓館(外国人宿泊可)

察布査尓賓館。県の委員会もこの建物の中に入っていた。

中へ入り、フロントで確認したところ、察布査尓で唯一、外国人が宿泊できる宿泊施設であった。
しかし宿泊前に派出所で登記が必要とのこと。

烏克街

亜力買買提特色木柴焼肉

烏克街と言う通りにディープなウイグルレストランを発見!

ちょうどウイグル時間でお昼時なので、入ってみた。

「亜力買買提特色木柴焼肉」と書いてある。
そういえば、2015年訪問のカシュガルでも「買買提」と名の付く店が多かった覚えがある。
ウイグル語の何かの意味の音訳なんだろうか?

中へ入ると「お好きな場所へ」と言われた。

テラスの席に座る。

ラグメンを頼むとすぐに出てきた。
お昼時で、殆どの人が同じラグメンを注文していた。卵焼きが乗っていて、超美味しそう!
ジョッキはビールではなく、ノンアルコールの「Kawas(格瓦斯)」。これは哈尓濱で飲んだことがあるので、知っていた。

見た目通り、実に美味い!

本当に美味しい!!マジ感動して涙が出た!!!

一緒に頼んだ羊肉串も後から出てきた。

ラグメンついて少し説明すると、注文する前、ここの店の客が「西路麺、西路麺!」と言っているのが聞こえ、自分も同じように「西路麺!」と注文した。
後からメニューを見て分かったが、「西路麺」ではなく、「砕肉(拌)麺」で、ラグメンの肉が挽肉状のもの。これに対し、肉が通常のものは「過油肉拌麺」と言い、「砕肉麺」よりも3元ほど高い。

2015年8月、南彊へ言ったときは、このような区別は無く、ラグメンは全て「拉麺」または「拌麺」で1種類だけだった。

この旅で、ここのラグメンが一番美味しかった!
写真門の中央に立つのが、この店の老板。
「どこから来たか?」と聞かれたので「日本!」と答えると、これまで日本人に会ったことがないようで、非常にフレンドリーに接してくれた。

再び街の中心地へ。

とにかくスーパーや個人商で満州語新聞を捜す。

雑貨店など新聞がありそうな店を片っ端から訪ね、聞きまくるが、新聞は売っていない。
売っているとか以前に、「新聞そのものを見たことが無い」と言う回答が多い。

こんな西域辺境の場所であっても、ネット社会は普及しているし、今時、新聞なんて廃れて読まないのだろうと実感した。

実際、どこの商店にいっても、暇そうな店員はスマホ片手にチャットやらSNSをしているし、新聞自体そのもの存在価値が無くなっているようだ。

国遊飯店

再び中心地にある「国遊飯店」へ辿り着く。

満州語新聞は見つからないが、道路標識の看板には満州語が併記されている。

街の看板にも満州語。
だけど想像していたような日常生活、満州語で溢れている光景とは程遠い。商店などで街中で飛び交っている言語はウイグル語か普通話である。

これ以上、探しても新たな発見は無さそうなので、今日はこの辺で退却することにした。
16:00頃、「国遊飯店」の対角前にある乗り合いタクシー駐車場から、乗り合いタクシーで伊寧へ戻る(10元)。後部真ん中の席だったので、道中、写真は撮らなかった。
これといって何の収穫もなく、全くの期待外れであった。
帰りの景色を眺めながら、「もうここへ来ることは無いな」と思っていた。

伊寧

隆鑫国際酒店(察布査尓行き乗り合いタクシー乗り場)

30分ほどで伊寧市内へ到着。
「隆鑫大酒店」前の駐車場で降ろされた。
逆にこの駐車場が、伊寧から察布査尓へ行く乗り合いタクシーの発着地であることが分かった。

隆鑫国際酒店(解放西路上/「工会大厦」前)

すぐ近くに大通りらしい光景見えたので、歩いて行く。
こちらは「隆金国際酒店」。「隆金大酒店」の隣にある。バス停でいうと、解放西路上の「工会大厦」前。

州客運中心

「工会大厦」から101路のバスでホテルのある「上海城」まで戻ろうとしたが、一つ手前の「州客運中心」で下車した。今回第2の目的である「新源県吐尓根」の杏子溝の杏子花を見に行くため、明日朝一のチケットを購入するためだ。

售票庁に入るのも厳重なセキュリティチェックがある。客引きも多い。
新源県までの切符を買う前に客引きにつかまるが、重要な情報を得る。
なんと「新源県吐尓根」の杏子花はもう完全に散ってしまい、見ごろではないとのこと。何人かの客引きにも聞いたが、皆、もう見ごろは過ぎたと言う。
見ごろは4月中旬とのことであったが、少しは楽しめるであろうと、甘い考えを抱いていたが、完全にピークを過ぎていることまでは考えていなかった。察布査尓の期待外れに加え、第2の目的まで無くなってしまった。
自分は一体何をしにこんな西の果てに来たのだろう!?と膝から崩れ落ちるような衝撃を受けた。満州語新聞は見つからないし、この旅の雲行きが怪しくなるのをひしひしと感じる。

全季酒店/上海城店

「州客運中心」から一駅の「上海城」まで歩いて行き、朝、駅からタクシーで来たホテルを探す。
「上海城」のバス停からホテルまでは分かりにくかったが、路行く人に聞きながら、何とか辿り着いた。

ホテルに着いたのは北京時間19:00近くで、問題なくチェックインできた。部屋は広い。これで226元。

新疆時間では17:00頃。外はまだバリバリに明るい。お昼のラグメンの量が多かったせいか、お腹もすいておらず、この日は夕食を食べず、早めに休んだ。